アニメソング(アニソン)の歴史 ⑦ 独自路線を歩むタツノコアニメ

サンライズの先進性や、歌の可能性を広げたアイドルアニメと解説してきましたが、それらとは異なる独自路線を展開するアニメソングがあります。
それがタツノコプロの楽曲です。
タツノコプロは、マンガ家である手塚治虫が作ったアニメ制作会社・虫プロと同じく、マンガ家だった吉田竜夫が作った会社です※1。
手塚治虫が自身のマンガ作品をアニメ化することで成功し、人気マンガ原作のアニメが隆盛だった当時に、原作のないオリジナル作品にこだわった独自の方針を貫いていました。
その独自の在り方は、アニメソングにも良く現れていて、他社の作品から一線を画していたのです。
子供向けアニメソングの完成形
『ハクション大魔王』のオープニング曲に代表されるように、男女共に楽しめるような低年齢向けアニメでは、作品内容がそのまんま歌詞になっています。
物語の雰囲気などもよく表現されていることから、途中からアニメを見始めた子供たちでも、オープニングの歌を聞いただけで、作品に入り込めてしまう楽曲となっているわけです。
子供たちが一度聴いたら忘れない印象的で口ずさみたくなるようなフレーズが多用され、本編に入る前の高揚感を煽る効果など、当時のアニメソングに求められる要素をふんだんに詰め込まれた完成度の高い名曲ばかりです。
男の子向けのヒーローアニメでは、劇画タッチの作風にマッチした、軽快で力強くかっこいい楽曲が作られました。
これらの主題歌は、作詞を竜の子プロ文芸部が手掛けているため、作中の物語とのシンクロ率が非常に高い内容となっています。
タツノコプロの文芸部というのは、初期のタツノコ作品の企画の中核を担った脚本家・鳥海尽三が部長を務め、作品の企画から脚本を担っていた部署でした。
タツノコプロは、ほとんどがオリジナル作品でしたから、企画した文芸部が最も作品のことを知っているわけです。当然思い入れも強く、その文芸部が作詞を担当しているのですから、作品と主題歌の親和性が高いのも当然といえるでしょう。
タツノコの看板作品であるタイムボカンシリーズ
タツノコプロで忘れてはならないのが、タイムボカンシリーズの楽曲です。
シンガーソングライターの山本正之が生み出した楽曲は、オープニングは自身が歌も担当し、エンディングは作中のキャラクターである三悪人が歌うキャラクターソングという構成となっていました。
1975年から1983年までの8年間で、タイムボカンシリーズ7作品の顔となった名曲たちですから、この頃に子供時代を過ごした方のほとんどは、一度は聞いたことがあるはずです。
山本節とでも言うべき独特のボーカルで、高揚感を煽る軽快なサウンドの中に力強さと愛らしさがない交ぜになった楽曲は、多くの子供たちを魅了しました。
さらに、タツノコプロの「おもしろカッコいい」という独自の作品路線をも牽引して、これぞタツノコプロというものを印象づける看板楽曲ともなりました。
シリーズの定番となった三悪人によるエンディング曲は、声優が歌手として歌うのではなく、演じているキャラクターが歌うという形で歌われた「キャラクターソング」の走り※2と言えるでしょう。
当時はまだ「キャラクターソング」という名前さえない時代でしたから、アニメ史上でも画期的だったのは言うまでもありません。
作品の延長のような楽曲に、テレビの前の子供たちは、本編のおまけシーンを見るかのような感覚で楽しむことができました。
子供向け楽曲だけじゃない
タツノコプロの楽曲は、子供向けのヒーローものや、オモシロカッコイイものばかりではありません。
1983年の『未来警察ウラシマン』では、主人公がタイムスリップした未来世界を舞台にしたSF作品の世界観に合わせた、エレキサウンドが印象的な楽曲となっていました。
オープニング曲「ミッドナイト・サブマリン」の作曲を担当したのは、数々の歌謡曲を手掛け、沢田研二の「酒場でDABADA」が第22回日本レコード大賞・金賞を受賞した鈴木キサブロー。
40代以降の方々には、後に作曲した中森明菜の「DESIRE -情熱-」(こちらも第28回日本レコード大賞・金賞を受賞)の方が、通りが良いかもしれません。
エンディング曲「ドリーム・シティ・ネオ・トキオ」の作曲を担当したのは、チェッカーズや『タッチ』、中森明菜の『少女A』などでも知られる芹澤廣明。
特にこの「ドリーム・シティ・ネオ・トキオ」は、当時のアニメソングの中でも特異な存在として非常に印象に残っています。
劇場作品では、1979年のゴダイゴの曲『銀河鉄道999(The Galaxy Express 999)』や、1983年公開の『幻魔大戦』の「光の天使 / Children Of The Light」といった例がありましたが、テレビアニメではまだまだ英単語が入る歌詞が珍しかった時代※3。
発売された「未来警察ウラシマン 音楽集」の収録曲を見ても、全曲英語タイトルというこだわりっぷりです。
作品内容も、SFの世界観に、ハードボイルドなサスペンスストーリーが展開されるという、かなり攻めたもので、当時の子供たちは、こうしたちょっと大人びた演出に魅了されたものでした。

タツノコらしさが消えていった時代
1980年代後半以降、タツノコプロは自社作品のリメイクをするようになり、かつての楽曲を現代風にアレンジしたものを使用するようになりました。
さらに1990年代になると、深夜アニメの台頭の影響で、タツノコプロも大人向けアニメを作るようになっていきます。
その結果、他社のアニメ作品と遜色ないような楽曲を採用するようになり、良くも悪くも、タツノコらしさは影を薄めていくことになっていったのです。
とはいえ、タツノコプロが昭和時代に生み出したこれらの楽曲は、アニメソングの一つの到達点に達した完成形であり、アニメソングの歴史に刻まれるべき名曲と言えるでしょう。
昭和時代に輝きを放ったタツノコアニメソングは、当時の子供たちを何十年経った今も魅了し続けているはずです。
次回に続く。
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※1 タツノコプロは、マンガ家の吉田竜夫が、自身のマネージャーだった吉田健二とマンガ家だった九里一平という2人の兄弟とマンガ制作プロダクション(版権やアシスタントの管理がメイン業務)として設立した会社でした。
翌々年、東映動画(現・東映アニメーション)からテレビアニメ制作の企画が持ち込まれたのをきっかけにアニメ制作に参入し、その後アニメ制作の専門会社となっていきました。
※2 キャラクターソングは、声優が自身の演じるキャラクターが歌っているという形で演技をしながら歌う楽曲だけではなく、キャラクターをイメージして作られた楽曲も含まれます。
後者の場合は、そのキャラクターを演じる声優以外の歌手が歌う場合もありますし、声優が歌う場合でも、キャラクターを演じることなく声優本人がナチュラルに歌唱することもあります。
日本におけるキャラクターソングのお初は、1963年の『狼少年ケン』の挿入歌で、ポッポ役の水垣洋子が歌った「ポッポとチッチの歌」ではないかと言われています。
1970年の『サザエさん』の挿入歌(オープニングに使われたこともあります)で、フグ田サザエ役の加藤みどりが歌った「レッツ・ゴー・サザエさん」といった例もあります。1979年には、『ドラえもん』の挿入歌で、当時のジャイアン役のたてかべ和也が歌う「おれはジャイアンさまだ!」が制作されました。
※3 英語歌詞のアニメソングの走りは、チャーリー・コーセイが歌う1971年の『ルパン三世』のオープニング曲でしょうか。
アニメソングの歴史
① 基礎編:基本フォーマットと分類について
② 鉄腕アトムからはじまったアニメソング
③ 『宇宙戦艦ヤマト』と『銀河鉄道999』によって児童向けから脱却
④ 『機動戦士ガンダム』と井荻燐
⑤ サンライズアニメの先進性
⑥ マクロスとクリィミーマミの衝撃
⑦ 独自路線を歩むタツノコアニメ
⑧ タイアップソング黄金時代 前編
⑨ タイアップソング黄金時代 後編
⑩ キャラクターソングの歴史 前編
⑪ キャラクターソングの歴史 後編
⑫ 声優アーティスト 前編
⑬ 声優アーティスト 後編
⑭ 新世代のアニソン歌手たち
⑮ アニメソングが作られる工程
⑯ アニメソングの多様性時代と海外発信力
⑰ アニメソングの課題
