アニメソング(アニソン)の歴史 ③ 『宇宙戦艦ヤマト』と『銀河鉄道999』によって児童向けから脱却
前回は、鉄腕アトムのソノシートのヒットで、アニメの主題歌のレコードが売れることに気づいたレコード会社が、争うようにアニメ主題歌のレコードを発売し、アニソン歌手や名作曲家が生み出す楽曲によって、アニメソングの独特なスタイルが出来上がっていったことをお話しました。
今回はその後のアニメソングの歴史を追っていきます。
『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』の大ヒット
アニメソングの歴史を語る上で欠かせないエポックメーキングとなった作品が2つあります。
それが『宇宙戦艦ヤマト』と『銀河鉄道999』です。
1974年に放送されたテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』は再放送などで注目され、社会現象とも言える大ブームとなり、この作品が火付け役となって当時のアニメ業界にSFブームが巻き起こります※1。
1978年に公開された劇場版アニメ『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』では、当時の人気絶頂期にあった沢田研二が歌う主題歌「ヤマトより愛をこめて」を収録したサントラLPレコードが38.6万枚を売り上げ、アニメ映画サントラの累積売上枚数歴代1位を記録する程でした(2014年に『アナと雪の女王』のサウンドトラックが46.6万枚で1位記録を更新)。
当時のアニメ制作会社は映像を作ることが専門なため、音楽制作や吹替などは外部の会社に任せる慣習がありました。
テレビアニメの場合などは、テレビ局側がレコード会社を手配して音楽制作を担うケースが多かったようです。
そのため、アニメ監督には作品の楽曲について口を出す権限はありませんでした(意見は言っても、決定権はありませんでした)。
アニメ制作側では、子供向けアニメから青年向けアニメへと移り変わろうとする時代の変化を強く意識して作品を制作する動きが出始めていましたが、レコード会社にはその意識はまだ低く、作品タイトルを連呼するような子供向けの楽曲を作り続けて、作品内容とギャップが出てしまうことも往々にしてありました。
後年、『機動戦士ガンダム』の富野由悠季監督は、そうしたレコード会社の時代遅れな制作についての恨み言をコメントしています。
『宇宙戦艦ヤマト』の場合は、プロデューサーの西崎義展が自身の立ち上げた会社で制作し、大きな権限を行使して制作していたため、事情が異なっていました。
西崎義展がかなりの口出しをして、自分のイメージに合うように作らせたようで、その結果、作品のメインターゲットである青年層に刺さるような楽曲に仕上がり、前述のような記録を打ち立てることができたわけです。
もう一つの『銀河鉄道999』は、1978年にテレビアニメが放送され、当時のSFブームに乗って大人気となり、翌1979年に公開された劇場版アニメ『銀河鉄道999』は、その年の邦画において、アニメ映画としては初めて第1位となる16億5000万円の配給収入を記録する空前の大ヒットとなりました。
この映画の主題歌はゴダイゴが担当しています。
東映動画では、『宇宙戦艦ヤマト』の成功により※2、それまでの自社作品の路線とは異なる青年向けの長編アニメ映画を制作しようという機運が高まり、この劇場版アニメ『銀河鉄道999』の製作に至った経緯があり、作品の成功を最大化すべく、マルチメディア展開を採用しました。
鉄道会社や出版社とのタイアップや、テレビやラジオ、音楽、出版を活用したメディア露出や情報発信を行い、その一環で、当時大人気だったゴダイゴを起用したのでした。
人気ロックバンドがアニメの主題歌を歌うというのは前代未聞の出来事で、それだけにインパクトも大きく、当時の人気音楽番組「ザ・トップテン」のランキングでは、15週にわたってランクインし、7週連続で1位を獲得する程で、毎週全国のお茶の間で主題歌が聞かれていたことになります。
曲の出来の良さや話題性のみならず、作中での曲の使われ方が実に見事でした。
未見の方には是非ともご視聴いただきたいのですが、メーテルを乗せた999が飛び立ち、彼方へと消え去るのを線路に立ち尽くす鉄郎が見送る映画ラストシーンで、万感の思いを込めて鳴る999の汽笛が鳴り止むと同時に曲がかかるのです。
曲が流れる中、線路の上をとぼとぼと歩きはじめた鉄郎が、ふと振り返るも、やがて思いを振り切るようにがむしゃらに駆け出していく、この鉄郎の心情と劇場の観客の気持ち、曲の歌詞とが絶妙にシンクロして抜群の感動効果を発揮しているアニメ史上屈指の名シーンです。
このゴダイゴの曲を収録し、翌1979年7月に発売された『交響詩銀河鉄道999』の売上は、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』のサントラサントラLPレコードに次ぐ歴代2位(現在は3位)となる38.2万枚を記録しました。
『宇宙戦艦ヤマト』のヒットは、アニメ業界に対し、青年向けの作品がビジネス的に成立し得ることを証明して見せ、『銀河鉄道999』のヒットは、映画業界に対し、実写映画に比べて格下だと思っていたアニメ映画が、実写映画に匹敵する程の大きな商売になることを強く印象づけ、時代を変えたと言われています。
これに影響を受け、『機動戦士ガンダム』をはじめとする青年向けの作品が続々と作られるようになり、それに伴い、楽曲の方も変化していくことになります。
次回に続く。
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※1 映画『未知との遭遇』が1978年2月に日本で劇場公開され、映画『スター・ウォーズ』も同年6月に公開と、当時は海外のSF超大作が続々と日本で公開され、宇宙をテーマにしたSF作品が日本中でブームを巻き起こしていました。
※2 『宇宙戦艦ヤマト』の劇場版の都内での配給を持ちかけられた東急レクリエーションは、この作品のポテンシャルを鑑み、東京以外の全国配給の依頼を東映に取り次ぎ、東映洋画配給部が担当することになりました。
そして、この劇場版アニメ『宇宙戦艦ヤマト』の大ヒットは、かつて1960年代に長編アニメ映画を見限ってテレビアニメに注力するように方針転換を行った東映において、長編アニメ映画の価値認識を改めさせたと言われています。
そのため、次作である『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の制作は東映動画を拠点に行われ、さらには東映動画内に青年向けの長編アニメ映画の自主映画製作への機運が高まり、劇場版アニメ『銀河鉄道999』の製作に至った経緯があります。
ちなみに、劇場版アニメ『銀河鉄道999』は親会社である東映からの制作受注ではなく、東映動画が自ら資金を調達して製作した最初の作品でした。
アニメソングの歴史
① 基礎編:基本フォーマットと分類について
② 鉄腕アトムからはじまったアニメソング
③ 『宇宙戦艦ヤマト』と『銀河鉄道999』によって児童向けから脱却
④ 『機動戦士ガンダム』と井荻燐
⑤ サンライズアニメの先進性
⑥ マクロスとクリィミーマミの衝撃
⑦ 独自路線を歩むタツノコアニメ
⑧ タイアップソング黄金時代 前編
⑨ タイアップソング黄金時代 後編
⑩ キャラクターソングの歴史 前編
⑪ キャラクターソングの歴史 後編
⑫ 声優アーティスト 前編
⑬ 声優アーティスト 後編
⑭ 新世代のアニソン歌手たち
⑮ アニメソングが作られる工程
⑯ アニメソングの多様性時代と海外発信力
⑰ アニメソングの課題