手塚治虫の功績について再考してみた件 ⑫ 商品としての『鉄腕アトム』の価格

前回は、徹底したリミテッド・アニメーション方式を採用することで、日本初となる毎週30分放送のテレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』の制作実現に目処がついたことを取り上げましたが、もう一つ、製作費という大きな問題があります。

テレビアニメの先達である横山隆一のおとぎプロの敗因は、収益化が上手くできなかったことでしたから、同じ轍を踏まないためには、収益化の実現が必須課題でした。
そこで目をつけたのが広告代理店です。

虫プロでテレビ部を任されていた坂本雄作は、東映動画で同僚だった中村和子の夫である穴見薫が、広告代理店の社員でありながらアニメに情熱を持つ人物だと知り、中村に仲介を頼みました。
当時の広告代理店は、その名の通り、テレビ局とスポンサーの間を取り持ち、その手数料を収入源とする業態でした。
しかしグループ内に広告制作会社も抱える広告代理店大手の宣弘社は、自社内にテレビ番組制作部門を設立し、日本のヒーロー番組の元祖とも言うべき『月光仮面』(1958~1959年放送)の企画制作を手掛けて成功を収めており、番組制作を手掛ける広告代理店が出てきていました。

『鉄腕アトム』のパイロットフィルムを高評価した萬年社では、製作費(実際には放送権)120万円を提示しましたが、手塚治虫は55万で良いと言い出します。
実際には120万円でも足りず、一説には250万円程もかかっていたそうなので、通常であれば値上げを交渉するところを、手塚治虫は値下げを提案したわけですから、萬年社もこれには困惑し、何か裏があるのではないかといぶかしんだそうですが、結局その55万円で話はまとまります。

手塚治虫がこの値段を提示したのには2つの思惑があったようで、一つは、30分の実写のテレビ映画の相場が50~60万円程であると聞いたため、他のテレビ番組に比べて何倍も高いとなると、テレビアニメに出資しようというスポンサーが現れないのではないかとの心配からでした。
もう一つは、飛び切り安い値段で始めれば、競合他社の参入を防げるだろうという思惑でした。

手塚治虫にしても、未来永劫この値段で続けるとはさすがに思っていなかったでしょう。
『鉄腕アトム』は必ず成功する自信があり、その成功を見たら必ず追従者が現れるはずですから、他のプロダクションでは手が出せないような低価格で請け負うことでそれを抑止し、しばらくの間は日本初のテレビアニメという栄誉を獲得した『鉄腕アトム』の独走状態を保ち続ける必要があると考えていたようです。
当然赤字になることは間違いがないので、その赤字分はマンガの原稿料で補填する覚悟で、『鉄腕アトム』が人気となり、テレビ局やスポンサーがもっと作って欲しいとなったら、またその時に改めて値段交渉をすれば良いというわけです。
また、それとは別に、手塚治虫には、たとえ日本で1本55万円だったとしても、海外で販売すれば採算が取れるという目論見もあったようです。

前例のないことをしようというのですから、まずは何としてもスタートさせることが重要です。
ここでまごづき、計画が頓挫もしくは停滞したとしたら、マンガの神様である手塚治虫をもってしても、やはりテレビアニメはハードルが高いのだという悪い印象が広まり、テレビアニメそのもの未来が閉ざされてしまう可能性があります。
手塚治虫の55万円の提示は、その葛藤の中で、スタートさせることを最優先と考えた判断だったのでしょう。

手塚治虫はこの55万円という低価格で請け負ったことを得意気に方々で語ったために、この値段が独り歩きしてしまい、手塚治虫が現在まで続くアニメの低価格問題、ひいてはアニメーターの薄給問題を作った張本人であるかのように批判されてしまう原因となりました。
しかし、実際には、さすがにこの値段は安過ぎるとして、手塚治虫の知らないところで、穴見と手塚のマネージャーとが話し合い、その結果、100万円を上乗せした155万円が『鉄腕アトム』の値段として落ち着きます。
そして手塚治虫の読み通り、大人気となっていった『鉄腕アトム』の値段は話数を重ねる中で上乗せされていき、当時のスタッフの証言によると、最盛期には1話300万円程度にまでになったそうです。


次回に続く。

〈了〉


神籬では、アニメ業界・歴史・作品・声優等の情報提供、およびアニメに関するコラムも 様々な切り口、テーマにて執筆が可能です。
また、アニメやサブカル系の文化振興やアニメ業界の問題解決、アニメを活用した地域振興・企業サービスなど、様々な案件に協力しております。
ご興味のある方は、問い合わせフォームより是非ご連絡下さい。


穴見薫は、大阪に本拠を置く広告代理店・萬年社の東京支部企画部主任課長をしており、広告代理店の社員でありながら、アニメーションを作りたいと東映の企画部長である白川大作や東映動画のアニメーター楠部大吉郎を萬年社に勧誘したこともありました。白川と楠部はこの話を断りますが、楠部から東映動画を退社したばかりの中村和子を紹介し、これがきっかけで2人は結婚した経緯がありました。
後に中村和子は虫プロに入ることになるのですが、これは、虫プロと組むことになった穴見薫が、虫プロの困窮状況を見て中村に手伝ってあげて欲しいと頼んだのがきっかけでした。
広告代理店として『鉄腕アトム』のテレビ放送に尽力した穴見薫は、その後萬年社を退社して虫プロに入社し、常務取締役に就任することになります。


手塚治虫の功績について再考してみた件
① 最近の若者は手塚治虫に馴染みがない
② 赤本から貸本へ、マンガのスタイル変革
③ 手塚治虫は海賊王
④ トキワ荘の功績
⑤ アシスタント制度の確立
⑥ マンガ家への功罪
⑦ アニメを作るためにマンガ家に
⑧ アニメ制作の実現
⑨ 虫プロの創設
⑩ 『鉄腕アトム』という常軌を逸した挑戦
⑪ 非常識アニメ『鉄腕アトム』の実現
⑫ 商品としての『鉄腕アトム』の価格
⑬ 『鉄腕アトム』放送開始
⑭ アトムのビジネス的成功とテレビアニメブーム