手塚治虫の功績を改めて見直してみた件 ① 最近の若者は手塚治虫に馴染みがない

今年は『鉄腕アトム』の放送60周年にあたり、『ブラック・ジャック』連載50周年にあたる手塚治虫関連のダブル記念の年です。

『鉄腕アトム』は練馬区内の虫プロダクションで生まれ、『ブラック・ジャック』の方も、実は当時練馬区内にあった手塚プロダクションで生まれており、どちらも練馬区とは縁が深い作品です。
残念ながら、練馬区では『ハリー・ポッター』推しの中で、この記念の年に何のアクションも起こしてはいませんが、お隣の豊島区では、新施設「アニメ東京ステーション」を10月31日にオープンさせます。
これは手塚治虫だけの施設というわけではありませんが、都が保有する『鉄腕アトム』のセル画など数万点のアニメ素材の一部を展示する計画が発表されており、プレオープンニングセレモニーの挨拶の際にも小池百合子都知事から、トキワ荘を例にあげて手塚治虫と豊島区に縁があることが語られました。

六本木ヒルズの東京シティビューでは、連載50周年を記念した「手塚治虫 ブラック・ジャック展」が開催中で、各地の百貨店や書店などでも、『鉄腕アトム』や『ブラック・ジャック』の各種イベント・フェアが行われています。

ところが、没後30年以上も経ち、最近は手塚治虫を知らない若者も増えているそうです。
実際に知り合いの子供たちなどは、『ONE PIECE』や『鬼滅の刃』は知っていても、手塚治虫作品は見たことがないらしく、中にはその名すら知らない子供もいました。
マンガやアニメのネット配信、図書館などで過去の作品は閲覧できるとは言え、雑誌での連載もない現在、絵柄も今風ではないので、興味を抱いて積極的に見に行かなければ触れる機会がなくとも仕方がないことかもしれません。

1994年にオープンした兵庫県宝塚市の手塚治虫記念館でも、没後から時が経った2000年代後半になると来館者数が年々減少し、年間10万人を割り込むようになったそうです。
手塚治虫記念館では、手塚治虫に馴染みのない世代が増えて来たことも来場者数の減少の一因であるとして、新しい手塚治虫ファンを開拓すべく、手塚治虫以外の作品とのコラボ企画展を開催してきました。

<手塚治虫記念館の過去の企画展>
1999年:第16回「赤塚不二夫のギャグマンガ展」
1999年:第18回「アンパンマン展 手塚治虫・やなせたかし二人展」
2000年:第20回「SFマンガの世界展〜永井豪・手塚治虫 二人展〜」
2002年:第27回「〜手塚治虫の大親友〜 馬場のぼるのせかい 展」
2005年:第36回「鉄人28号VS.鉄腕アトム展」
2007年:第42回「横山隆一・手塚治虫 おかしな二人展」
2010年:第51回「星新一展 ~2人のパイオニア~」
2011年:第53回「osamu moet moso —feat.いとうのいぢ—」
2011年:第54回「”萬画(マンガ)” 〜石ノ森章太郎の世界〜」
2012年:第56回「エヴァンゲリオン展」
2013年:第59回「macross:the museum」
2014年:第63回「忌野清志郎展 〜手塚治虫ユーモアの遺伝子〜」
2016年:第68回「ウルトラヒーローワールド ~ウルトラマン放送開始50年の歩み~」
2016年:第69回「マルチクリエイター 松本かつぢの世界展」
2017年:第71回「初音ミク×手塚治虫展ー冨田勲が繋いだ世界ー」
2018年:第73回「テヅカツ! ~手塚治虫×アイカツ!シリーズ~」
2018年:第74回「MACROSS:THE ART 1982-2018」
2019年:第77回「いのまたむつみ展」
2019年:第78回「高田明美展」
2020年:第80回「よつばと!原画展」
2020年:第81回「CAPCOM VS. 手塚治虫CHARACTERS」
2021年:第84回「中原淳一展 ~現代にも響く”美”のメッセージ~」
2022年:第86回「マクロス放送40周年記念 超時空要塞マクロス展」
2022年:第87回「w50周年記念 デビルマン×マジンガーZ展」
2023年:第89回「テヅカプ ファイティングユニバース CAPCOM vs. 手塚治虫CHARACTERS」

2010年代後半からコロナ渦での休館などもあり、その効果をはっきりとは確認できませんが、対策を講じなければ、存続が危ぶまれる程にまで来館者数が落ち込んでいたとも考えられます。
要は、「マンガの神様」とも呼ばれる手塚治虫であっても、単体ではその価値の維持継続が難しくなっている事実があるというわけです。

この「マンガの神様」の手塚治虫について、改めてその存在価値を見直してみたいと思いますが、手塚治虫は素晴らしい作品をたくさん生み出し、同時代の作家たちに大きな影響を与えた偉大なマンガ家、といったザックリとした印象で捉えている人が多いのではないでしょうか?

単に素晴らしい作品や革新的な技法を生み出し、それに刺激を受けた作家たちが良い作品を生み出したというだけでは、「神様」という尊称は大き過ぎます。
もし、上述のような認識が一般的だとするのであれば、はっきり言って手塚治虫は過小評価されていると言わざるを得ません。

手塚治虫の功績を語る上で、まず初めに取り上げなくてはいけないのが、1947年に発表された『新宝島』です。
この『新宝島』は、当時の日本で流通していたマンガとは一線を画する作品で、藤子不二雄、さいとう・たかを、石ノ森章太郎、松本零士たちをはじめ、この作品に衝撃を受け、クリエイターを志した当時の少年たちは数え切れない程でした。


次回はこの『新宝島』から始まったマンガの黎明期の歴史を取り上げたいと思います。

〈了〉


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手塚治虫の功績について再考してみた件
① 最近の若者は手塚治虫に馴染みがない
② 赤本から貸本へ、マンガのスタイル変革
③ 手塚治虫は海賊王
④ トキワ荘の功績
⑤ アシスタント制度の確立
⑥ マンガ家への功罪
⑦ アニメを作るためにマンガ家に
⑧ アニメ制作の実現
⑨ 虫プロの創設
⑩ 『鉄腕アトム』という常軌を逸した挑戦
⑪ 非常識アニメ『鉄腕アトム』の実現
⑫ 商品としての『鉄腕アトム』の価格
⑬ 『鉄腕アトム』放送開始
⑭ アトムのビジネス的成功とテレビアニメブーム