手塚治虫の功績について再考してみた件 ⑦ アニメを作るためにマンガ家に

前回までのコラムで取り上げたように、マンガ界に偉大な功績を残し、「マンガの神様」とまで呼ばれる手塚治虫ですが、実はそもそもマンガ家を目指していたわけではありませんでした。
少し手塚治虫のことを知っている人の中には、「どうせ医者志望だったと言いたいんだろう」と思った方もいるかもしれませんが、そうではありません。
手塚治虫の原点は、実はアニメなのです。

手塚治虫の祖先は、代々手塚良仙の名を世襲で継ぐ医師の家系で、曾祖父は水戸藩の支藩である常陸府中藩お抱え医師で、明治新政府では軍医も務めた手塚良庵。祖父の手塚太郎は司法官(地方裁判所検事)とあって、なかなかに良い家柄であったようです。
父の手塚粲は、住友金属工業に勤める一方で写真倶楽部に所属するアマチュア写真家でもありました。

このことからも想像できる通り、手塚家は裕福だったようで、家には映写機やアニメのフィルムも数本あり、夜になると幼い手塚治虫(幼稚園から小学校低学年頃)は父にこのアニメを見せてもらっていたそうです。
映画館でアニメを見るだけとは異なり、フィルムが自宅にあるわけなので、手塚少年は、このフィルムを電灯に照らし、少しずつ異なる絵が描かれている様を観察して、アニメーションの仕組みを理解したのだといいます。
アニメーションが連続するコマ絵によってできていることを知った手塚少年は、家に何冊もあった分厚い法律本の端にパラパラ漫画を描くようになったそうで、本が分厚いがために1分程もあるパラパラ漫画としては大作を作っていたとのこと。
その後、父がホームビデオ撮影用に買って来た8mmのフィルムカメラを使い、自作の絵を1枚ずつコマ撮りしてアニメーションを作成したりもしたそうです。

小学4年生頃の手塚少年がわら半紙にマンガを描いて友人たちに回覧させたエピソードなどで、マンガばかりが取り上げられがちですが、それと同時、もしくはそれよりも早い段階で、アニメ体験があったわけです。

そんな手塚少年の中にあったアニメ志向の決定打となったのは、17歳頃に見た国産初の長編アニメ『桃太郎 海の神兵』でした。
これは日本政府と海軍が戦意高揚のための作品とすべく巨費を投じ、100名近いスタッフを動員して製作した大作で、ディズニー映画『ファンタジア』を参考に制作されたものです。
それまでの日本産アニメは、個人が自費で制作したごく短い実験的のようなアニメーション作品ばかりでしたが、『桃太郎 海の神兵』の場合は、ディズニーアニメから学んだ技術や、それまでの作品に比べ、各段に優れた作画や表現を用いた作品となっていました。

『のらくろ二等兵』(1935年・上映時間11分)
『くもとちゅうりっぷ』(1943年公開・上映時間16分)
『桃太郎 海の神兵』(1945年公開・上映時間74分)

これを見た手塚治虫は、内容に感動したというよりも、日本でこれだけの高い技術のアニメが製作できたことに感動したと語っています。
アニメは好きだったものの、巨額と大人数をかけて作られるフライシャーやディズニーのようなアニメは到底できるものではないと諦めていたものが、日本でも制作できるのだと勇気を得た手塚治虫は、自分も生涯で1作品でも良いからアニメを制作したいと心に決めたとのことです。

手塚治虫が実際にセル画を使って初めてアニメ制作を行ったのは、終戦後の昭和22年(1947年)頃で、京都のアニメスタジオでカメラを借りて十数秒のアニメを制作してみたのだそうです。
しかし、カメラが古かった上、値段が高くて質の悪い国産フィルムしか手に入らず、納得できるようなものが作れなかったため、時期尚早だと感じ、まずはお金を貯めなくてはならないと、そのためにマンガ家になることを考えたと手塚本人が語っています。

つまり、マンガ家で成功したからアニメにも手を出したのではなく、元々アニメを作りたいがためにマンガ家になったというのです。
後に手塚治虫はマンガ家として大成し、それを本業としてマンガ家であることに誇りをもっていたことは間違いありませんが、そのスタートにおいては、マンガは目的ではなく、あくまでアニメを作るための手段であったわけです。


次回に続く。

〈了〉


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インタビューによると、初期の『フィリックス・ザ・キャット』や『ココ・ザ・クラウン(道化師クラウン)』、ディズニーの『オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット』、『ミッキーの二挺拳銃』、『ミッキーの汽車旅行』といった作品を見ていたとのこと。

『フィリックス・ザ・キャット』
『オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット』
『ミッキーの二挺拳銃』
『ミッキーの汽車旅行』

手塚治虫の功績について再考してみた件
① 最近の若者は手塚治虫に馴染みがない
② 赤本から貸本へ、マンガのスタイル変革
③ 手塚治虫は海賊王
④ トキワ荘の功績
⑤ アシスタント制度の確立
⑥ マンガ家への功罪
⑦ アニメを作るためにマンガ家に
⑧ アニメ制作の実現
⑨ 虫プロの創設
⑩ 『鉄腕アトム』という常軌を逸した挑戦
⑪ 非常識アニメ『鉄腕アトム』の実現
⑫ 商品としての『鉄腕アトム』の価格
⑬ 『鉄腕アトム』放送開始
⑭ アトムのビジネス的成功とテレビアニメブーム