手塚治虫の功績について再考してみた件 ⑩ 『鉄腕アトム』という常軌を逸した挑戦
前回は、手塚治虫がついに虫プロというアニメ制作会社を立ち上げたものの、収益モデルを構築できずにいるところまでを取り上げましたが、今回はそんな虫プロの起死回生となる『鉄腕アトム』についてお話します。
マンガ家でアニメ制作会社を立ち上げた先達である横山隆一のおとぎプロは、芸術的な作品を作って批評家たちから高評価を得ていましたが、興行におけるビジネス的成功を収めることができませんでした。
手塚治虫や虫プロの仲間たちもこれは認識していて、やはり大衆受けする娯楽作品を作らなくてはダメだと考えていました。
しかも、映画を作れば必ず東映が配給・興行をしてもらえる東映動画とは異なり、虫プロには興行を担当する部署も担当者もないため、たとえ映画を作っても上映してもらえる映画館を探して交渉をするだけでも大変です。
そこで考えられるのはテレビアニメです。
手塚治虫がおとぎプロを反面教師に導き出した虫プロの事業計画は、虫プロをテレビ部と映画部の2つに分け、テレビで放送する娯楽作品で収益性を確保しつつ、同時に芸術性の実験アニメを制作していくというものでした。
『鉄腕アトム』前夜とでも言うべき、1962年以前の日本では、ハンナ・バーベラ制作の『珍犬ハックル』、『恐妻天国』(『原始家族フリントストーン』)、『ゆかいなボゾ』、『オギーとダディー』、『早射ちマック』の他、『進め!ラビット』※1、『カレイジャス・キャット』、『ウッドペッカー』、『ロッキー君とゆかいな仲間』、『ポパイ』といったアメリカからの輸入アニメが、日本語に吹き替えた上で放送されていました。
『鉄腕アトム』は「日本初の1話30分の連続テレビアニメ」と説明されることが多いため、それ以前には30分アニメは放送されていなかったと思っている人も多いようですが、実際にはアメリカ産の30分アニメが週に何本も放送されていたのです。
その多くは、ショートアニメを30分の放送枠で2~3本放送するスタイルが主流で、40代以上の方々は、『トムとジェリー』※2やバッグス・バニーやダフィー・ダックなどの『ルーニー・テューンズ』※3などのテレビ番組で、こうしたスタイルでの放送を記憶している人も多いのではないでしょうか。
これらの輸入アニメの共通点は、どれもドタバタ劇で見せるギャグアニメであることです。
1話完結で10分もないようなアニメですから当然のことだと言えますが、手塚治虫は、娯楽作品であるとはいえ、このような作品は作る気がしないと、やるのであればストーリーものがやりたいという意向を虫プロの仲間たちに語っていました。
虫プロの中心人物の一人だった坂本雄作は、これらの状況や手塚治虫の意向を考慮し、かつて東映動画での企画会議でもアニメ化を提案したことがあった※4『鉄腕アトム』のテレビアニメ化を提案します。
当時放送されていた輸入アニメは前述通り30分枠で放送されていましたし、手塚治虫の望むストーリーのあるものをやる上でも、やはり30分でなくてはなりません。
では、30分アニメを作るのに、どれくらいの作業が必要なのでしょうか?
ものの本によると、東映動画の劇場用長編アニメの作画枚数は下記の通りとなっており、約90分のアニメを作るのに1年をかけ、350人以上のスタッフと6~7,000万円の制作費をかけていたとのことです。
『白蛇伝』は、上映時間79分で、原画1万6474枚、動画6万5213枚
『西遊記』は、上映時間88分で、原画1万2198枚、動画7万5758枚
東映動画の場合は、ディズニーと同じフル・アニメーション方式※5を採用していましたから、ハンナ・バーベラなどが採用していた、動きを簡略化・省略化してセル画の枚数を減らす表現手法であるリミテッド・アニメーション方式※6であれば、東映動画よりはるかに少ない枚数での制作が可能でした。
30分枠のアニメはCMやオープニング・エンディングがあり、実質25分程※7ですから、1秒24枚のリミテッド・アニメーションであれば、単純計算すれば、作画枚数は3万6000枚となります(止め絵のカットや風景のズームやパンなどもあるので実際にはもっと少なくなります)。
リミテッド・アニメーションでは、2コマ打ち(同じコマを2枚ずつ続けて使用することで1秒間の作画枚数が12枚で済む方式)で作画枚数を減らせますが、それでも1万8000枚です。
東映動画でのアニメーター1人の1ヶ月あたりの作画枚数は150~200枚程とのことですから、作画スタッフだけでも100人以上はいないと実現できないでしょう。
当然のことながら、アニメの制作工程は作画だけではありません。脚本、絵コンテ、背景、トレース、彩色、撮影、編集、アフレコなどを含めると、何百人というスタッフが必要で、もはや検討に値しないくらい現実味のない数字となります。
実はこの30分のテレビアニメについては、東映の大川博社長も早くから目をつけており、NETテレビ(現:テレビ朝日)の開局時(1959年2月)に、東映動画に検討の指示を出しています。
これに対し、東映動画の山本善次郎取締役は、現状の制作体制から3,000人のスタッフが必要になるとの試算を出して不可能と結論づけ、以降話題に上ることすらなかったといいます。
実際にヨーロッパをはじめ多くの国や地域でテレビアニメが発展しなかった背景には、自国でテレビアニメを作るよりも、アメリカや日本のアニメを購入した方がはるかに安く※8、コストがかかり過ぎる自国製作は、ビジネス的に非効率でリスクが大きいと判断されたことが大きいと指摘されています。
日本でも、東映動画などの伝統的な制作方法では、ドラマやバラエティなど他のテレビ番組に比べて製作費が高過ぎるため、スポンサー企業も見つからず、そんな採算が取れないようなものにチャレンジしようという動きが起きたかは疑問です。
たとえ高い志をもって、ビジネス度外視でチャレンジする者が現れたとしても、収益性が伴わない動きは継続できませんから、単発で終わってしまい、逆にテレビアニメではビジネスが成立しないという悪い前提を作ってスポンサーを遠ざける結果になっていたかもしれません。
日本では、世界的にも異例なほどにテレビアニメが発展し、現在では年間200タイトル以上の新作アニメがテレビで放送されるまでになっています。
これは元を辿れば『鉄腕アトム』という成功例があったためであり、その後のテレビアニメの発展に与えた貢献度は計り知れません。
では、手塚治虫はこの無謀な挑戦である『鉄腕アトム』をいかに実現したのでしょうか?
次回に続く。
〈了〉
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※1 『進め!ラビット』(Crusader Rabbit)は、世界初のテレビアニメとされる作品で、1話4分のショートアニメでした。1950~1951年にロサンゼルスで195話が放送され、日本では1959~1960年に放送されています。
※2 『トムとジェリー』は1940年に初作品が公開されて以降、1950年代後半までに100本以上の短編アニメ映画が公開され、1950年代にはテレビ放送されるようになって瞬く間に人気シリーズとなりました。
日本では、1964~1966年にTBSで放送されて以降、1990年頃に日本での版権が日本の保有企業(トランスグローバル)からアメリカ本国の権利元会社に返還されるまで、様々な放送局で繰り返し再放送されていました。
※3 『ルーニー・テューンズ』は1930~1969年に製作された、バッグス・バニーやダフィー・ダック、トゥイーティーといったキャラクターを主人公にした短編アニメ映画で、1950年代にテレビ放送されるようになると絶大な人気を博しました。
日本では、1960~1980年代に毎日放送・NETテレビ(現:テレビ朝日)にて『バックス・バニー劇場』(1961~1964年)のタイトルで放送され、1980年代以降にTBSやテレビ東京などでも放送されました。
※4 坂本雄作が東映動画で提案したのは、坂本が東映動画に入社した直後の劇場用アニメの企画会議でのことで、『鉄腕アトム』と『ジャングル大帝』の2作品でしたが、その時の上層部は手塚治虫のことを知らず、あっさりと取り下げることになったとのことです。
※5 フル・アニメーション方式とは、秒間24枚の絵が1コマごとに絵を変化させる、もしくは2コマごとに絵を変化させる伝統的な方式。当然絵の枚数が多くなるので、時間と費用がかかる贅沢な制作方式となります。
※6 リミテッド・アニメーション方式とは、動きを簡略化・省略化し、絵を変えるのも秒間3コマごとに減らしたりして、制作工程をスリム化させるために使われた方式です。
どこからがフルアニメで、どこからがリミテッドアニメなのかという境界は曖昧なものの、滑らかな動きを表現することを省略して、内容がわかる最低限の動きのみで表現しているアニメ全般を指します。
※7 『鉄腕アトム』はオープニング1分12秒、本編24分42秒、エンディング1分12秒という構成になっており、残りの約3分がCM枠となっています。
※8 当時の輸入アニメの購入価格は1分1万円で、30分アニメであれば実質25分程と考えれば25万円程度で購入が可能でした。
手塚治虫の功績について再考してみた件
① 最近の若者は手塚治虫に馴染みがない
② 赤本から貸本へ、マンガのスタイル変革
③ 手塚治虫は海賊王
④ トキワ荘の功績
⑤ アシスタント制度の確立
⑥ マンガ家への功罪
⑦ アニメを作るためにマンガ家に
⑧ アニメ制作の実現
⑨ 虫プロの創設
⑩ 『鉄腕アトム』という常軌を逸した挑戦
⑪ 非常識アニメ『鉄腕アトム』の実現
⑫ 商品としての『鉄腕アトム』の価格
⑬ 『鉄腕アトム』放送開始
⑭ アトムのビジネス的成功とテレビアニメブーム