手塚治虫の功績について再考してみた件 ⑪ 非常識アニメ『鉄腕アトム』の実現

前回取り上げた通り、数字の上から考えれば、毎週30分放送のテレビアニメを作るということが、いかに常軌を逸する無謀な挑戦なのかは一目瞭然だったわけですが、虫プロではこれを解決すべく、発想を逆にして考えました。
つまり、30分アニメを制作するのに何人が必要かではなく、現在の虫プロが抱えるアニメーターの人数で何枚描けるか、その作画枚数で動いているように見せるにはどうしたら良いか、を考えようという発想です。

試算された1話分の動画枚数は2000枚以下※1
当時の常識から考えれば1/10以下の枚数であり、本当にそんな枚数でアニメが作れるものか、虫プロメンバーですら疑問だったそうですが、そこは手塚治虫の創意工夫、そしてそれに触発された虫プロメンバーたちのアイデアで解決していきました。
同時に東映動画や東映動画出身者たちを勧誘し、すれだけでは間に合わないので新聞に求人広告を出し、希望者を募りました。

毎週30分放送のテレビアニメの実現のために生み出された具体的な手法には、下記のようなものがあります。

3コマ打ち
同じコマを3枚ずつ続けて撮影して使用することで、1秒間24枚必要な作画枚数を8枚で済ませる方式(あくまで基本値であり、シーンによっては動かすコマ数は増減します)

止め絵(トメ)
キャラクターが遠くを見つめるカットなど動きが必要でないところは静止画を使用して動画を省く手法

引きセル
1枚絵を使い、レンズを動かしたり画の方をずらしながら撮影することで、ズームインやズームアウト、パン、ティルトといった動きを見せる手法

口パク
人物が話すシーンでは、体全体や顔はおろか目すら動かさず、口だけを動かく手法

部分
顔や胴体は動かさず、腕や脚だけを動かす手法

繰り返し
キャラクターが左右の足を交互に動かす短い動きを繰り返し、背景を動かすことで歩行を表現

バンク・システム
描いた動画を「走る」「飛ぶ」「笑う」「怒る」などの分類名をつけて保存し、同じ動きが必要な際にそこから取り出して使い回す手法

ショート・カット
1カットが長いとより長く多くの動きが必要になるため、短いカットを多用することで、キャラクターをあまり動かさずともテンポの良い展開に見せることができる手法

オープニング・エンディングアニメ
本編の前後に毎週同じアニメーションを主題歌と共に流し、本編の時間を短くすることができました※2

手塚治虫が採用した作品の制作方針は「なるべく動かさないこと」でしたから、東映動画出身で「アニメーションとは絵を動かすものだ」と教え込まれてきたスタッフなどは、さぞや戸惑ったことでしょう。
作画の他にも、それまで白から黒まで濃さの異なる11段階の色を使って彩色していたのを7段階に減らすなど、作業のスリム化の模索は、全ての作業工程・セクションに及びました。
これらの様々な手法は、必要に迫られ苦肉の策として生み出されたものでしたが、結果的にアニメーションの新たな表現を確立することになり、『鉄腕アトム』以降、これが日本のアニメの主流フォーマットとなっていくのです。

ディズニーアニメを手本として始まった当時の日本では、リミテッド・アニメーションこそアニメーションの王道であるという観念が呪縛となって、リミテッド・アニメーションを下に見る傾向が強く、志が高い東映動画のアニメーターたちなどはこれに見向きもしませんでした。
手塚治虫は著作の中で、ディズニーが偉すぎたために動画の先入観のようなものができ、それが動画の発展を停滞させており、リミテッド・アニメーションはアメリカではテレビアニメの常識的手法となっているのに、既成概念が邪魔して日本では誰一人手を出そうとはしなかった、というようなことを語っています。

虫プロのリミテッド・アニメーションは、ハンナ・バーベラなどが採用していたアメリカ版のリミテッド・アニメーションを参考にしたものでしたが、本家の方は元々ドタバタ劇ですから、動きのおもしろさで見せる必要性があるため、虫プロ程には徹底した省略とはなっていませんでした。
さらに、30分のお話の中でのエピソードを重ね、壮大な物語を描き出すストーリーものである点、表面的な面白さだけではない哲学的なテーマ性を持つ点が大きな違いでした。

『鉄腕アトム』は、感情を持つロボットに人権が与えられた未来の世界を舞台に、ロボットが関係する事故や犯罪を防ぎあるいは解決するため、10万馬力や様々な能力を持つ少年型ロボットのアトムが活躍するお話です。
その話を通して、科学の進歩がもたらす人間の幸福と苦悩や人間とロボットの共存、差別や欲望などの問題から平和や正義を実現する困難さなどのテーマが描かれており、これらは子供向けのドタバタ劇では描かれたことがないものでした。

手塚治虫は、当時のスタッフに「『鉄椀アトム』はアニメーションではなくアニメです」と言っていたそうですが、まさにこの『鉄腕アトム』によって、それまでのディズニーや東映動画が作ってきた「アニメーション」とは異なる「アニメ」という新しいコンテンツが誕生したと言えるでしょう。
現在、海外のアニメファンの間では、「アニメ」というのは日本式のアニメを指す言葉として普及していますが、日本国内では「アニメ」と「アニメーション」の境界は曖昧で、明確な定義づけもされていません。
皮肉にも、手塚治虫が意識していたこの違いを、海外のアニメファンの方がよく理解していると言えるかもしれません。


次回に続く。

〈了〉


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※1 山本暎一著『虫プロ興亡記』によると、1枚を3コマ撮影する3コマ打ちであれば25分の動画枚数は1万2000枚、12コマ撮りであれば2000枚で済み、これが最低限度(あきまで平均値であり、必要なシーンは2コマ撮りでなめらかに動かし、部分的に止め絵にしたりということでの試算)だろうとの試算でした。
虫プロのアニメーターが1人1日あたり4.5枚の動画を描くとして、テレビ部の動画担当は5人だから22.5枚で、休みの日曜を除く6日間では135枚というのが通常ですが、2000枚を描くとなれば、1日約66枚は描かなくてはなりません。

※2 主題歌付きのオープニングやエンディング自体は、『月光仮面』(1958~1959年放送)をはじめ、『風小僧』(1958~1959年放送)、『ナショナルキッド』(1960~1961年放送)などの子供向けの実写ヒーロー番組で使用されていたので、『鉄腕アトム』で初めて創出されたものではありませんでした。
『鉄腕アトム』では、1~30話までは高井達雄作曲の歌のないインストルメンタルのオープニングとエンディングが流されていましたが、31話からは谷川俊太郎の作詞で、上高田少年合唱団による歌唱が入ったものに替えられています。
実は、『鉄腕アトム』は1963年9月に『ASTRO BOY』というタイトルでアメリカNBCテレビでの放送が開始されており、この際に英語の歌が付けられていました。渡米して自ら契約調印に臨んだ手塚治虫が持ち帰った英語版『鉄腕アトム』を虫プロで上映してみせたところ、スタッフたちから日本語の歌を作ろうという意見が出たため、手塚治虫は早速自ら谷川俊太郎に電話をかけて依頼をしたとのことです。


手塚治虫の功績について再考してみた件
① 最近の若者は手塚治虫に馴染みがない
② 赤本から貸本へ、マンガのスタイル変革
③ 手塚治虫は海賊王
④ トキワ荘の功績
⑤ アシスタント制度の確立
⑥ マンガ家への功罪
⑦ アニメを作るためにマンガ家に
⑧ アニメ制作の実現
⑨ 虫プロの創設
⑩ 『鉄腕アトム』という常軌を逸した挑戦
⑪ 非常識アニメ『鉄腕アトム』の実現
⑫ 商品としての『鉄腕アトム』の価格
⑬ 『鉄腕アトム』放送開始
⑭ アトムのビジネス的成功とテレビアニメブーム