ルパン三世のジャケットの色 中編 カリオストロの城

前回は原作から第2シリーズまでのジャケットの色の変遷について語りましたが、今回はその続きです。
第2シリーズ放送中の1978年12月に公開された劇場版第1作となる『ルパン三世 ルパンVS複製人間』※1は、第2シリーズ準拠で赤ジャケットが採用されています。
ところが、1979年12月に公開された劇場版第2作の『ルパン三世 カリオストロの城』では、同じく第2シリーズ放送中の作品であるにも関わらず、緑ジャケットとなっています。
なぜ『ルパン三世 カリオストロの城』は緑ジャケットなのでしょうか。
この疑問を紐解くには、第1シリーズのことから語らなくてはなりません。
スタッフロールには名前が記載されていませんが、実は第1シリーズのスタッフとして、宮崎駿が参加していました。
第1シリーズは、放送開始後、記録的な低視聴率※2が原因で、大隅正秋監督が降板してしまう事態になり、演出を代行するスタッフを探すことになったのです。
そこで、同作品で作画監督を務める大塚康生の東映動画時代の後輩だった高畑勲と宮崎駿に白羽の矢が立ち、2人は大塚を助けるためにこれを引き受けることになりました。
当時の2人は、『ルパン三世』を制作していた東京ムービー(現・トムス・エンタテインメント)専属の下請会社だったAプロダクションに所属していたこともあり、そうした関係性も2人の採用の要因となっていたようです。
こうしてスタッフに加わることになった2人は、「Aプロ演出グループ」という匿名にて参加し、視聴率を上げるという命題に取り組むことになります。
しかしそこは高畑勲と宮崎駿のことですから、単純にドタバタコメディをやって視聴率を稼ごうなどという安易な方法は取りません。
自分たちの考えるルパン像を再構築して、自分たちが心血を注ぐに足るルパンを新たに作り出そうとするのです。
一番わかりやすい変更点として、まずは愛車の変更が挙げられます。
宮崎駿の美学では、超高級車のメルセデス・ベンツSSK※3(第1シリーズ前半でのルパンの愛車)になんかに乗っているのはカッコ悪くて、大衆車のフィアット500※4(第1シリーズ後半・カリオストロの城でのルパンの愛車)なんかを乗り回している方がよほどに粋な姿であるようなのです。
宮崎駿のルパン観とはどんなものだろうか。
大金を盗んでも偽札だと判ると惜しみもなく捨ててしまうなど、金銭的な価値や贅沢さみたいなものには興味がない。その上、普段は貧乏ったらしい庶民的な生活を楽しみながら、誰もが真似できない一見不可能とも思える大仕事をやってのけるというギャップがあるヒーロー像です。
後年の宮崎駿が講演にて語ったところによると、大隅ルパンの設定は、祖父の財宝を受け継いだ金持ちが暇を持て余し、倦怠感を紛らわせるために道楽で泥棒をしているというもの。
一方の宮崎ルパンの設定は、イタリア系の貧乏人で、何か面白いことはないかと目をギョロつかせ、やる気満々で一生懸命だと言うのです。
ところが、そもそも第2シリーズは、第1シリーズの再放送で視聴率が20%超えるまでになったルパン人気を受けて製作されたものです。
さらには、第1期で大隅正秋が打ち出した大人向けのダークヒーロー的な部分が、再評価されてもいました※5。
そのため、第2シリーズでは、第1シリーズのベンツSSKによく似た超高級車のアルファロメオ・グランスポルト・クアトロルオーテを愛車とする快楽主義の大泥棒のルパンに戻ってしまいました。
宮崎駿としては、この第2シリーズのルパンがよほど気に入らなかったようで、各講演やインタビューなどで、「アレを見ていると頭にくる」などとボロクソに酷評しています。
第2シリーズのルパンは、欲望の赴くままに盗みを働き、敵を殺したり、女性にだらしなかったり、コミカルで痛快なドタバタ活劇のように描かれていますから、宮崎駿としては我慢ならなかったのでしょう。
そうした思いから、第2シリーズの否定と、自分が高畑勲と作り上げた第1期後半のルパンの系譜であるとのメッセージも込めて、敢えて緑ジャケットを採用したということのようです。
そんな宮崎駿ですが、『ルパン三世 カリオストロの城』の翌年である1980年に、大嫌いだったはずの第2シリーズの第145話と第155話(最終回)で、「照樹務※6」名義で脚本・コンテ・演出を担当しています※7。
第145話「死の翼アルバトロスト」では、武器商人の武装集団相手に丸腰で立ち向かい、最後は峰不二子から原子爆弾の発射プラグの設計図を取り上げて次元に捨てさせます。
第155話「さらば愛しきルパンよ」では、国防軍の依頼で密かに開発されていた装甲ロボット兵ラムダの開発者である小山田博士の娘・真希が、偽ルパン一味に騙され、公開デモンストレーションをさせられていました。これは、ラムダを海外に軍事兵器として売りさばこうとする永田重工による策略でしたが、銭形警部に変装したルパンがやって来て悪者を一掃し、真希を救い出します。
どちらの話もルパンは盗みをせず、銃も持たずに巨悪に立ち向かう、まさに正義の味方として描かれています。
しかも、後年に宮崎駿が語ったところによると、この最終回で描かれた偽ルパンはこの1話のみの偽物ではなく、第2シリーズで描かれていた全てのルパンが偽物であるとのメッセージで描いたというから驚きです。
第2シリーズ当時の宮崎駿は39歳で、どちらかと言えばまだ若手の部類。
そんな宮崎駿が、ゲストとして招かれた作品の最終回に、作品を全否定するようなメッセージを込めたわけですから、スタッフたちからは結構恨みを買ったようです。
さすがの宮崎駿も、後に「馬鹿な事をやってしまった」「よくなかったと思っている」と、反省の言葉を漏らしています。
〈了〉
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※1『ルパン三世 ルパンVS複製人間』は、劇場公開当時は単に『ルパン三世』というタイトルでしたが、ビデオソフト化の際に他作品と区別するために副題がつけられ、以降は副題付きのものが正式タイトルとされるようになりました。
※2『ルパン三世』第1シリーズは、日曜19時半というゴールデンタイムに放送されていたにも関わらず、その第1話の視聴率は6.5%という低いものでした。
第1シリーズは、それまでにはなかった大人向けの作品という方針のもとで制作されましたが、視聴者である当時の子供たちには、まだ受け入れ難かったということもあったかもしれません。
その後も記録的な低視聴率を出し続け、大阪の読売テレビに急遽呼び出された東京ムービー藤岡豊社長と大隅正秋監督が、局側とスポンサーたちに詰問されたそうです。
ここで藤岡社長は、子供向けへの路線変更を約束するのですが、大隅監督はこれに納得せず、以降スタジオに姿を現さなくなってしまったとのこと。
同時間帯のフジテレビの裏番組『アンデルセン物語』の最高視聴率が21%、その後の『アルプスの少女ハイジ』、『フランダースの犬』『母をたずねて三千里』『あらいぐまラスカル』も最高視聴率が25%を超え、平均視聴率も20%を超えていたので、『ルパン三世』がいかに桁違いな低視聴率だったかがわかります。
※3 メルセデス・ベンツSSKは、1928~1932年にわずか37台しか製造されなかった幻の名車です。当然ながら一般市場には出回らない代物で、2004年にイギリスのオークション(Bonhams)へ出品された際には、約8億円で落札されたそうです。
※4 フィアット500は大塚康生の当時の愛車でした。
大塚の愛車は、正確には2代目のFIAT NUOVA 500で、購入価格は62万円だったとのこと。
第1シリーズでは第16話「宝石横取り作戦」で初登場しており、この時の車両のボディは大塚の愛車と同じ白でした。
※5 第1シリーズが再放送で人気になった理由を、前半と後半の設定の異なるルパン像が対立してせめぎ合い、2つの顔を同時に持つことが、結果として作品に活力をもたらしたのではないか、と宮崎駿は後年に語っています。
※6「照樹務」のペンネームは、当時宮崎駿が所属していたテレコム・アニメーションフィルムの社名が由来。
※7 ルパンの制作チームには、元々脚本家たちがいたわけですが、宮崎駿は彼らが上げてくる脚本が気に入らず、自分で脚本を書いてしまいます。
良い悪いは別として、元のスタッフたちが作り上げてきたルパンを、自分勝手に改変し、それを圧し通して作り上げたのが、第145話と第155話というわけです。