アニメのスポンサー⑥ テレビ局主体で製作されるアニメ

アニメの未来を考える

前回は一社提供時代から製作委員会方式への変化の時代に続き、アニメ企画会社が現れたり、それまでと異なる意図でアニメに出資するケースを取り上げましたが、それとは別のケースとして、テレビ局が主体となってアニメを製作している場合をご紹介したいと思います。

企画・製作の経緯はそれぞれ異なりますが、テレビ局がアニメ製作の主体となる狙いとしては、何と言っても放送枠の価値を高めて広告料収入を上げることです。放送されるアニメが人気となって視聴率が上がれば放送枠が高く売れ、さらにそれが安定的に運用されるというのは、テレビ局にとっては理想的な状態です。
テレビ局と制作会社のタッグというパターンの他、テレビ局・制作会社・スポンサーの三者の仲立ちを広告代理店が担う関係上、これに広告代理店が加わるケースも見受けられます。出資比率は異なりますが、その2社ないし3社が出資してアニメが製作され、権利を共同保有する形になります。
人気アニメであれば視聴率は安定的に高いため、CMを流したい企業(スポンサー)は多くなり、その結果、高い広告費収入を得ることができ、出資会社がその出資比率に合わせて利益を分配するという仕組みです。

<テレビ局+アニメ制作会社(+広告代理店)>
『サザエさん』フジテレビ、エイケン
『ドラえもん』テレビ朝日、シンエイ動画、ADKエモーションズ
『ちびまる子ちゃん』フジテレビ、日本アニメーション
『クレヨンしんちゃん』テレビ朝日、ADK、シンエイ動画
『名探偵コナン』ytv、トムス・エンタテインメント

『サザエさん』は、1969年に放送開始され、世界で最も長く放映されているテレビアニメ番組としてギネス世界記録されている程の長寿番組ですが、アニメ制作会社エイケンの設立者である村田英憲氏[村上1] が、朝日新聞で連載中だった『サザエさん』に目を付け、広告代理店の宣弘社※を通じてフジテレビにアニメ化企画を持ち込んだのが始まりとのことです。

『ドラえもん』は、日本テレビ版『ドラえもん』(1973年放送)の放送終了後、宙に浮いていた映像化権を、原作者である藤子・F・不二雄からの信任の厚かったアニメ制作会社の東京ムービーが委ねられており、東京ムービーの専属下請会社だったAプロダクション(独立時にシンエイ動画に改名)が独立した際に、東京ムービーの藤岡豊社長が餞別として映像化権を譲渡したのだそうです。
その後、この『ドラえもん』に惚れ込んだシンエイ動画の楠部三吉郎 (シンエイ動画創立者・楠部大吉郎の弟で、後に二代目社長に就任)が、Aプロダクション時代に同僚だった高畑勲に企画書を作成してもらい、藤子・F・不二雄に持ち込んで許諾を得た上で、よみうりテレビ(日本テレビ系列)に企画を持ち込むも上層部の反対で頓挫。そこで、小学館・旭通信社(現・ADK)と組んで他局への売り込みを開始するものの、どの局でも反応が悪い中にあって、テレビ朝日の編成開発部だった高橋浩氏の尽力で、紆余曲折の末、10分間のベルト新番組という形で再アニメ化が実現したとのこと。

『ちびまる子ちゃん』は、当時日本アニメーションの社長だった本橋浩一の孫娘が原作マンガのファンで、『ちびまる子ちゃん』のアニメが見たいと言い出したのをきっかけに、社内の大反対を押し切り、本来は広告代理店が担う放送枠やスポンサーの確保も本橋浩一自らが行い、1990年1月のアニメ放送開始まで漕ぎ着けたそうです。

『クレヨンしんちゃん』は、旭通信社(現・ADK)のテレビプロデューサーだった堀内孝氏が、原作マンガに着目してアニメ化企画が始動し、それをテレビ朝日編成局とシンエイ動画に持ち込んだそうです。
2021年4月に放送された『しくじり先生 俺みたいになるな!!』によると、旭通信社からテレビ朝日に提出されたこのアニメ番組の候補作企画には別の本命作品があり、『クレヨンしんちゃん』は、この本命作品の企画を引き立てるための噛ませ犬だったとのことです。ところが、意図に反して『クレヨンしんちゃん』の方が高評価を得てアニメ化に至ったというのです。それが現在では局を代表する国民的アニメにまでなっているのですから、まったく何が当たるかわからないものです。

『名探偵コナン』は、原作マンガの連載開始から2年後の1996年1月という、当時としては異例の早さで放送が開始されています。
当時、『YAWARA!』(1989~1992年放送)のアニメを手掛けていたことから週に1回は小学館に出入りしていたという読売テレビ東京制作局(現・アニメ事業部)の諏訪道彦氏が、『名探偵コナン』の連載開始時から目を付け、第5、6話くらいのタイミングで早くも小学館編集部にアニメ化の打診をしていたそうです。
そして、自身が担当していた『魔法騎士レイアース』(1994~1995年放送)の後続枠が確保できた段階で、諏訪氏主導で、小学館編集部や担当編集者と共にアニメ化企画を進めたとのこと。
国民的アニメは認知度も高く、その視聴率の高さからの放送枠の高価格化というだけではなく、ライセンス使用料の二次収益という旨味も充分にあるので、テレビ局としてはドル箱コンテンツとして重要な存在となっています。そのため、企画自体の始動はテレビ局主導ではなかったものも含め、現在はテレビ局が主体となって製作体制が築かれているわけです。


※1985年6月から広告代理店が宣弘社から電通に変更され、1987年10月以降は複数社提供となると、博報堂や東急エージェンシーなど複数の広告代理店が関わるようになります。


アニメのスポンサー
① アニメへの出資の狙い
② スポンサーと作品の関わり
③ 出資企業の変化
④ 出資・座組のパターン
⑤ 出資意図の変容
⑥ テレビ局主体で製作されるアニメ
⑦ 現在も残る一社提供
⑧ 玩具メーカーの明暗 前編
⑧ 玩具メーカーの明暗 後編