海外で流行っている昭和のロボットアニメの謎を紐解いてみた件 ① 『超電磁マシーン ボルテスV』前編

アニメの解説書

海外では日本ではすでに40代以上か、『スーパーロボット大戦』シリーズのプレイヤーくらいしかその名を知らないような昭和のロボットアニメが、海外で大人気という現象が見られます。
例を挙げれば、フィリピンの『超電磁マシーン ボルテスV』、スペインの『マジンガーZ』、フランスやサウジアラビアの『UFOロボ グレンダイザー』などですが、今回はそうした現象がなぜ起きているのか、各例について紐解いていきたいと思います。

まずはフィリピンの『超電磁マシーン ボルテスV』です。

『超電磁マシーン ボルテスV』は、日本では1977年6月から1978年3月まで、毎週土曜の夕方に放送されていたロボットアニメです。
東映テレビ事業部の企画作品で、制作は日本サンライズへ委託され、メインスポンサーはポピー(現・バンダイ)でした。同体制で製作された前作『超電磁ロボ コン・バトラーV』の方が知名度が高く、40代以上でも『超電磁マシーン ボルテスV』の方は知らないという人も多いくらいで、日本においてはかなりマイナーな作品です。

日本人の間ではあまり知られていませんが、東映アニメの『白蛇伝』(1958年公開)や虫プロの『鉄腕アトム』(1963年放送)の時代から、日本のアニメは海外の各国に販売されており、現地で外国語に吹き変えられて放送されていました。

フィリピンでは、『超電磁マシーン ボルテスV』が1978年から放送されましたが、最高視聴率が58%を記録する程の大人気で、子供たちが熱中し過ぎることが社会問題となり、フェルディナンド・マルコス大統領が声明を発して国営放送での放送が禁止される事態にまで発展しました。
この後、革命が起こってマルコス政権が打倒されると、中止されてしまった残りの4話が放送されたことから、『ボルテスV』を放送させるために革命が起きたなどと噂された程です。
1999年から同作品の再放送が始まると、最高視聴率が40%を超えてブームが再熱し、日本ではほとんどの人が忘れてまっているというのに、日本から遠く離れた異国で国民的アニメと呼ばれるまでの支持を得ることになったのです。

2017年12月には放送40周年を記念したキャラクターマラソン&ファンイベントがフィリピン・マニラにて開催され、作品の世界観をイメージした装飾が施された会場で、オープニングテーマ曲を歌った堀江美都子がゲスト出演するステージや、作品の楽曲を歌うカラオケ大会なども実施されました。
主題歌を作曲した小林亜星が2021年5月に亡くなった際には、駐日フィリピン大使館がスポーツ報知にて追悼コメントを寄せるなどの他、フィリピン国民における作品知名度は90%を超えるとも、国家を歌えずとも『超電磁マシーン ボルテスV』の主題歌は歌える、『超電磁マシーン ボルテスV』の歌が軍歌になっているなどとも言われていて、その人気ぶりは日本国内における『鬼滅の刃』ブームを凌駕する程です。

次回はそこまで人気となった背景を見ていきたいと思います。