アニメ制作のビジネスモデルの歴史 その② 一社提供アニメ

虫プロの『鉄腕アトム』の大成功の影響で、アニメ事業に参入する企業が現れ、次々にヒット作を生み出しましたが、作品数が増え続けた結果、当然ながら市場競争が発生します。
主に菓子・玩具会社が担っていたスポンサーは、社会貢献や文化支援ではなく、自社商品の販売促進を目的に、あくまで商売上の投資として出資しているため、出資したアニメの人気が上がらないと損失になります。
そこで出資会社の当然の権利として、出資金が最大利益を生むように(自社商品がより売れるように)、アニメの制作に注文を加えます。

『機動戦士ガンダム』の制作時、モビルスーツのデザイン案の段階からスポンサーの注文が加えられ、放送開始後も、一向に視聴率が上がらないために、テコ入れ策として毎回敵の新型MSを出すことやシャアを表舞台から外すようにといった注文が次々に入り、それでも視聴率低迷を打開できず、最終的には全52話予定を全43話に短縮する形で打ち切りを言い渡されたことは有名な話です。

このように、一社提供の製作体制では、出資打ち切りというカードを持つスポンサーに対して制作会社は弱い立場にならざるを得ず、クリエイティブ面での制約を受けることになります。
また、当初は著作権を要求しなかったテレビ局や出版社などが作品の著作権をも要求するようになっていき、ロイヤリティー収入などで制作費を補填するモデルが瓦解していく要因となっていきました。

<一社提供アニメ時代の提供企業例>
1963年『鉄人28号』:江崎グリコ、グリコ乳業
1963年『エイトマン』:丸美屋食品工業
1963年『狼少年ケン』:森永製菓
1965年『オバケのQ太郎』:不二家
1965年『ジャングル大帝』:三洋電機
1969年『ハクション大魔王』:マルシンフーズ
1969年『ムーミン』:カルピス
1970年『昆虫物語 みなしごハッチ』:サッポロビール
1971年『天才バカボン』:大塚製薬
1971年『ルパン三世』:浅田飴
1975年『タイムボカン』:タカトクトイス(玩具メーカー)
1976年『ドカベン』:ナイル野球用品
1978年『銀河鉄道999』:ポピー(玩具メーカー)
1979年『機動戦士ガンダム』:クローバー(玩具メーカー)


連載コラム「アニメの未来を考える」アニメ制作のビジネスモデルの歴史
その① アニメ映画からテレビアニメへ
その② 一社提供アニメ
その③ 製作委員会の登場
その④ 製作委員会の仕組み
その⑤ 製作委員会の変容
その⑥ 外資企業・配信サービスの台頭