練馬区の「照姫まつり」は時代を先取りしたアニメ聖地3.0 後編

前回、練馬区の二大祭りの一つである「照姫まつり」の元となっている伝説が、『照日の松』という小説であることを取り上げました。

この小説『照日の松』のストーリーは、「公卿の娘・照日姫が旅の途中で襲われた山賊から石神井城主・豊島泰経の弟である豊島泰明に助けられ、山吹の姥のもとに身を寄せます。豊島氏と対立する太田道灌は石神井を偵察中、山吹の姥の許に居た照日を見染めるも照日姫はこれを相手にせず、その後、泰明に招かれその妻となります。やがて戦が起き、豊島氏は道灌に敗れて照日姫も最期を迎え、これを憐れんだ道灌が姫を弔う塚を築いた」というものです。

国立国会図書館デジタルコレクションでは、書籍版の全ページが公開されています。

『照日の松』は、現在の東京新聞の元となり、東京の庶民に広く読まれた「都新聞」に掲載された大衆小説※1で、作者の遅塚麗水は、三宝寺池の畔にあった照日上人※2の塚を見て照姫の悲話を着想し、「照日松」の題名で連載を開始したことを後に語っています。
この小説が好評を博し、小説人気がやがて伝説に昇華していったようです。
その過程で照日姫は言いやすい「照姫」へと変化し、照日塚も姫塚(照姫の塚)※と呼ばれるようになったということらしいのです。

『照日の松』では、石神井城主・豊島泰経は敵に追い詰められて落馬し、切腹した後に入水して自害。照姫も群がる敵と戦うも死を悟り、池に身を投げて最期を遂げるというもので、金の乗鞍の話は出てきません。
泰経が落城の際に家宝である金の乗鞍を着けた白馬に乗って三宝寺池に身を投げたとされる伝説は、江戸時代に書かれた書物に記された、三宝寺池の霊宝や、南北朝時代に敵に追い詰められた武将が自害した跡に三宝寺池が湧き、その武将の馬の鞍が池の主となったという言い伝え、明治期の書物にある豊島泰経の馬が誤って金の乗鞍を池に落としたといった話が混ざり、『照日の松』の話とも合わさって「金の乗鞍と照姫伝説」となったというのです。
明治・大正・昭和初期には、この伝説を史実と混同した人たちが三宝寺池で宝探しをする騒動が度々起こったそうです。

つまり、「金の乗鞍と照姫伝説」はフィクションであって、元ネタは大衆小説なのです。
アニメやマンガのない明治時代における大衆小説というのは、現在のそれに相当する娯楽作品であったはずです。
したがって、「姫塚」「殿塚」は創作作品を元に新たに作られた名所(聖地)であって、媒体はアニメではありませんが、まさに「アニメ聖地3.0」であると言えるのではないでしょうか。
さらに「照姫まつり」も、以前のコラムで取り上げたアニメ発祥のお祭りで10年以上も続く「湯涌ぼんぼり祭り」と同様、創作作品をルーツとするお祭りであるわけです。

アニメの舞台地となった場所をファンが訪れる聖地巡礼文化が発展し、ジブリパークなどのように作品の世界観を再現した場所や、デザインマンホールやモニュメントなどのファンの来訪スポットを新たに生み出すようになってきたというのが、「アニメ聖地3.0」という近年の動きです。
そんな最先端の「アニメ聖地3.0」の走りともいうべき存在が、明治頃の練馬にすでにあったというのは、何とも驚くべきことです。

江戸時代に、『源氏物語』好きの好事家が、宇治十帖の舞台である京都に十帖の各題名を当てた古蹟(碑)を建て、『源氏物語』の舞台巡りができる名所(聖地)を作った例がありますが、創作作品の聖地を意図的に作り出す行為は、全国でもなかなかに珍しい事例です。
そんな貴重な事例が、アニメやマンガにゆかりが深い練馬にあること、それが祭りにまで昇華していることを考えると、練馬在住の筆者としては、なかなか感慨深いものがありますが、みなさんはいかがでしょうか。

もう一点、「金の乗鞍と照姫伝説」は『照姫伝説』や『照姫ものがたり』などのタイトルで、小説※3、マンガ※4、ミュージカル※5、絵本※6など、様々なメディア展開がされていますが、アニメと縁が深い練馬区にありながら、なぜかアニメ化だけはされていません。
区公式アニメキャラクター「ねり丸」のアニメや、区のPRアニメは制作しているのに、毎年祭りを開催して区で盛り上げておきながら、『照姫伝説』をアニメ化しようという動きはなかったものか、何とも不思議です。


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※1 『都新聞史』によると、都新聞に『照日松』が連載されたのは、明治29年2月~5月とのことです。
その後、明治29年11月には書籍化されています。

※2 遅塚麗水が着想を得たという照日上人の塚も、実際には照日上人が埋葬された塚というのは江戸時代の創作話であって、実際には三宝寺池周辺にあった十三塚(十三仏信仰に基づく塚)の一つであったとも言われています。
また、殿塚は比較的新しいもので、資料上でその存在が初めて見られるのが小説『照日の松』の掲載の数年後であることから、その頃に作られたものと考えられています。

※3 小説『照姫伝説』は、ネリマ情報協会代表取締役編集長の遠武健好氏が、「井上武司」のペンネームで、自身が発行するタウン誌「ネリマ情報」に昭和63年(1988年)8月~平成6年(1994年)9月に連載で、平成6年に単行本も発売されています。
この作品での照姫は小鳥や野兎と会話ができたり、吹く笛の音に魔力がこもっていたり、魔魚や大蛇との戦い、海神姫が登場したりと、現在のライトノベルのような内容となっています。
小説にはもう一作、練馬在住の作家・宇都宮葉山による『照姫 -武州豊島氏の興亡-』という作品があります。副題通りの歴史小説で、豊島氏滅亡の様子を中心に、道灌の甥・太田資忠がもう一人の主役のような役回りで、照姫とのすれ違う恋の話が描かれているもので、1989年に新人物往来社から発売されています。

※4 『漫画・新照姫伝説』は、遠武健好氏の原作(マンガ版でのペンネームは「とうたけ文章」)をマンガ化したもので、なぜか2人のマンガ家(はるまゆか、ささきせい)の合作で、前半と後半で画風が異なります。
小説『照姫伝説』よりもさらに冒険活劇感が増されており、照姫は特殊な能力を持つ異能力者で、魔物退治などもかなり派手に脚色されています。

※5 『ミュージカル照姫伝説』は、遠武健好氏の小説を原作としたもので、横山バレエ団平成3年に練馬文化センター大ホールにて上演。

※6 絵本『照姫ものがたり』は、三越三千夫の文、久保雅勇の絵によるもので、1990年にフローベル館から発売されています。こちらの照姫は乗馬が得意な少々お転婆な娘で、太田道灌との戦いの際には城からは出なかったものの、鎧を着て薙刀を手にした姿が描かれています。