練馬区の「照姫まつり」は時代を先取りしたアニメ聖地3.0 前編

神籬が提唱する聖地巡礼の新しい動きである「アニメ聖地3.0」※が、筆者の地元である練馬区にも存在します。

練馬区では昭和63年(1988年)から例年4月に開催している「照姫まつり」があり(2023年は5月14日に開催)、例年10月に開催される「練馬まつり」と並び、練馬の二大祭りの一つとなっています。
これは、室町時代の石神井城主・豊島泰経と娘の照姫にまつわる「金の乗鞍と照姫伝説」にちなんだお祭りで、照姫、泰経、奥方の三役をはじめ、時代装束に身を包んだ総勢約100名が石神井公園周辺を練り歩く照姫行列や、石神井公園の野外ステージで行われる舞台劇が見所となっています。

この伝説の背景になっているのは、関東管領・山内上杉家の家宰の地位継承の問題をきっかけに反乱を起こした長尾景春の乱です。景春の挙兵に石神井城を本拠とする豊島氏も呼応して挙兵。これを討伐すべく武蔵守護代・扇谷上杉家の家宰で江戸城主であった太田道灌が豊島氏を攻め、文明9年(1477年)に江古田原・沼袋で合戦となります。
この戦いで惨敗を喫した豊島氏は石神井城に籠城するも、道灌に攻め滅ぼされてしまいます。
長篠の戦いが天正3年(1575年)なので、戦国時代に織田信長が活躍していた頃の約100年前の出来事です。

「照姫まつり」の元となっている「金の乗鞍と照姫伝説」というのは、道灌に攻められて最後を悟った石神井城主・豊島泰経が、家宝である金の乗鞍を着けた白馬に乗って城の背後の三宝寺池に身を沈め、泰経の娘・照姫も父の後を追って池に身を投げたというのがあらましです。

こちらは昨年(第35回)の照姫行列の様子ですが、何故か中国の龍舞が行列を先導しています。

鎧も室町時代の侍烏帽子に腹巻ではなく、戦国時代の当世具足を着けていたり、女性の着物も江戸時代以降の幅広帯だったりと、時代考証などはあまりされていない様子です。

野外ステージでは、行列参加者が次々と登場して見せ場を演じる「金の乗鞍と照姫伝説」の劇が行われます。

この「照姫まつり」の中心となっている石神井公園内には、実際に照姫と豊島泰経を弔ったという姫塚と殿塚があり、石神井城の遺構も三宝寺池のすぐそばで発見されていますし、史料でも豊島氏がこの石神井城で滅亡したことは事実であることがわかっており、伝説にはリアリティがあるように感じます。
ところが、この「金の乗鞍と照姫伝説」というのは史実ではありません。

「豊島泰経」という名前自体も、江戸時代に書かれた信憑性の低い系図などにあるもので根拠がなく、現在も残る史書や書状などでは「豊島勘解由左衛門尉」と官職名のみが記されているだけで、本当の名前はわかりません。
さらに、歴史研究によって、勘解由左衛門尉は石神井城では死なず、城を脱出して北方へ逃れたことがわかっており、その後は行方知れずというのが史実のようです。
「照姫」については、その名はおろか、存在すらも資料上では一切確認できません。

では、この「金の乗鞍と照姫伝説」というのは何なのでしょう?
実はこの伝説は、明治・大正時代の作家・遅塚麗水が執筆し、新聞に掲載された『照日の松』という小説が元ネタとなっているのです。


次回に続く。

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