タツノコプロのことをふりかえってみた件 ⑪ リアル路線が結実した『科学忍者隊ガッチャマン』の大ヒット
前回は、タツノコプロのアニメ第四作目となった異種格闘技アニメ『紅三四郎』を取り上げました。
タツノコプロのシリアス路線、あるいはリアル・アクション路線の作品である『マッハGoGoGo』、実現しなかった幻の企画『スカイファイターZ』で描かれたメカギミックやデザイン性、ヒーローの活躍のカッコよさ、『紅三四郎』で描かれた格闘シーンといった経験値が、一つの作品に結実したのが1972年に放送が始まった『科学忍者隊ガッチャマン』です。
ガッチャマンの企画
企画の背景には、『帰ってきたウルトラマン』(1971~1972年)、『スペクトルマン』(1971~1972年)、『仮面ライダー』(1971~1973年)による特撮変身ヒーローブーム、怪獣ブームがありました。
『科学忍者隊ガッチャマン』の企画は、これら特撮番組で成功した要素をアニメに取り込み、さらに特撮ではできないアニメ表現で、特撮人気を凌駕しようというチャレンジ精神があったわけです。
さらにタツノコプロの資産の一つである『忍者部隊月光』の設定も受け継いでいました。
『科学忍者隊ガッチャマン』は、表向きには変身ヒーローやギミック満載のメカによる派手なアクションで子どもたちを魅了しつつ、内容的には公害や科学、戦争などのシリアスなテーマを内包し、人間の業や情を描くドラマ性、悲しい過去や背景を持つ人物描写など、子供たちの心にも響く重厚感を持った作品性を持っていたのです。
各話のストーリーも、正義のヒーローが悪を倒すという勧善懲悪の単純なものではなく、目の前の敵は倒したものの、守るべきものを失ったり、時には主役側が敗北したりもする後味の悪い展開も少なくありませんでした。
「メカデザイナー」という専門職が生まれた作品
アニメ史上初めて「メカニックデザイン※1」というスタッフクレジットを使ったのはタツノコプロでした。
一番初めに使われたのが1971年放送のノンフィクションアニメ『アニメンタリー 決断』でしたが、その名称が知られるようになったのは、この『科学忍者隊ガッチャマン』からです。
『アニメンタリー 決断』では、既存の戦艦や戦闘機をデザインに起こし、その形状を作画担当の各アニメーターに正しく伝えるという役割としての「メカニックデザイン」でしたから、どちらかと言うと、設計図・設定画作りがメインでした。
一方、『科学忍者隊ガッチャマン』の場合は、基本的に全てが創作メカですから、意匠の創造としてのデザインの意味合いが強く、より現在の「メカニックデザイン」の意味に近い役割となっています。
先のコラムでも触れましたが、当時は美術担当のスタッフがメカ・ロボットなどのデザインも担っており、「メカニックデザイン」専門のデザイナー、いわゆる「メカデザイナー」という職種は存在していませんでした。
『科学忍者隊ガッチャマン』でメカニックデザインを担当したのは、『マッハGoGoGo』に引き続き、美術の中村光毅でしたが、当時20代で入社まもない大河原邦男※2も参加していました。
大河原邦男は、この後もタツノコプロ作品におけるメカデザインを担当しており、アニメ史上初の「メカデザイナー」として知られることになっていきます。
そのデビューを飾ったのが『科学忍者隊ガッチャマン』であり、「メカデザイナー」という職種が生まれた記念すべき作品でもあるわけです。
ガッチャマンの作画のこだわり
これまでの『マッハGoGoGo』、『紅三四郎』でも作画へのこだわり具合が凄かったタツノコプロですが、『科学忍者隊ガッチャマン』ではそのこだわりが、さらに凄まじいものになっていきました。
笹川ひろしによると、通常なら各話4500~6000枚程の動画枚数が、演出家や作画マンの凝り様で、1万枚を超えることもあったとのこと。
通常のアニメよりも圧倒的に線が多いことや、前述通り動画枚数の多さは勿論のこと、科学忍者隊のバイザーは、1枚1枚エアブラシで半透明に塗った後にハイライトまで入れていたりと※3、ちょっと考えられないくらい手間をかけて作られています。
他にも、放送が進むとスケジュールの問題で取り組むのが難くなるものの、第1~2話あたりでは実験的な試みをいろいろやっているのが確認できます。
第2話では、水槽に絵具を垂らして逆さまに撮影するキノコ雲や海底噴火シーンのような特撮の実写合成に、発光シーンではセル画の後ろから光を当てて撮影したり、水中シーンでは画面全体を滲ませてみたりといった具合です。
極めつけは、エレベーターの扉の描写です。
扉なんて平坦なベタ塗で充分なのに(いやむしろ、ひら隊員の移動シーン自体が不要なはずですが、こういう細部にこだわるところがタツノコらしい)、ギャラクター基地のエレベーターの扉は、なんと格子状の二層式蛇腹扉になっていて、開閉する動作をわざわざ描いているのです。
それも上の階での開閉と、下の階での開閉の2回を、使いまわさずに別々に描いているのです。
その他、ベタ塗で良かったり、止め絵で充分な部分も、光らせてみたり、透かしてみたり、回転させたりといった具合に、必要以上に描き込まれているのです。
ガッチャマンで黒字化
当初は1年で終了する予定だった『科学忍者隊ガッチャマン』は、人気のおかげで放送が延長され、2年間全105話も続き、後に続編作品も作られました。
何より大きかったのは、アニメ制作に舵を切って初めて黒字化を果たしたことです。
いまだ借金は残っているものの、アニメによる支出を漫画の原稿料で賄う赤字事業が、ついに収益を出せるところにまで漕ぎ着けたわけです。
この『科学忍者隊ガッチャマン』の成功により、タツノコプロのリアル・アクション路線のスタイルが確立され、
『新造人間キャシャーン』(1973~1974年・全35話)
『破裏拳ポリマー』(1974~1975年・全26話)
『宇宙の騎士テッカマン』(1975年・全26話)
『ゴワッパー5 ゴーダム』(1976年・全36話)
『科学忍者隊ガッチャマンII』(1978~1979年・全52話)
『科学忍者隊ガッチャマンF』(1979~1980年・全48話)
と10年近くもの間、リアル・アクション路線の作品が生み出され、タツノコプロの一翼を担うコンテンツ資産となります。
次回に続く。
〈了〉
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※1 『科学忍者隊ガッチャマン』のエンドロールでの表記は「メカニックデザイン」となっていますが、英語的には正しくなく、正しい英語表現である「メカニカルデザイン」を使用する場合もあります。
海外展開時には、「Mechanical Design」と表記されるのが一般的ですが、海外の日本アニメ崇拝者の間では、敢えて間違った英語表現である「Mechanic Design」をそのまま使用する例も見られます。
また、「メカ(Mecha)」という言葉が、「アニメ(Anime)」「マンガ(Manga)」と同様に、日本アニメに登場するロボットの総称として認知・使用されていることから、「メカデザイン(Mecha Design)」という造語も、日本語・英語圏共に通用する言葉となっています。
※2 大河原邦男(1947年~)は、東京造形大学のデザイン科卒で、アパレル会社に入社して企画担当となるも、営業職に配属替えとなってしまい、結婚を機に退職。
アニメには興味がなかったものの、タツノコプロの求人の新聞広告を見て、妻の実家に近かったという理由で応募し、美術大学卒であったことから美術課の背景担当として採用。
上司の中村光毅のもと、3か月ほど研修を受けていたところ、『科学忍者隊ガッチャマン』のタイトルロゴのデザインを任され、さらにはメカデザインのスタッフとしても参加することに。
初めてデザインしたのは、第3話登場の「ミイラ巨人」の中身である機械ボディ(外見は天野喜孝がデザイン)。
『科学忍者隊ガッチャマン』のエンドロールでの「メカニックデザイン:大河原邦男」の表記は第4話から。
アニメ史上初のメカデザイナーとしてのデビューであり、後に大河原邦男がメカデザインを担当した『機動戦士ガンダム』の大ブームによって、メカデザイナーという職種は世間にも認知されることになります。
※3 タツノコプロには朝沼清良というブラシワークで評価の高い凄腕の特殊効果マンがいて、『科学忍者隊ガッチャマン』や『破裏拳ポリマー』などのタツノコプロ作品の他、『超時空要塞マクロス』などの特殊効果も担当しました。