タツノコプロのことをふりかえってみた件 ⑥ 『マッハGoGoGo』の企画

前回は、『マッハGoGoGo』の制作について注目してみましたが、今回はその続きです。

マッハ号のデザイン
マッハGoGoGo』の制作当時、現在では当たり前になっているメカデザインという職種は存在していませんでした。
それらは、美術設定や背景美術の範疇で、風景の他に建物や室内も描き、その際に家具や大道具・小道具的なものも描いていましたから、キャラクターとしてのロボットは別として、やられ役の敵メカ・ロボットなども美術だったわけです。
当然のことながら車も美術ですから、マッハ号のデザインは、美術の中村光毅が担当しました。
元になったの参考車体はフェラーリ※1とのことで、そこから独特な流線形のフォルムに、真っ白なボディが印象的なデザインとなっています。
デザインとしては傑作と言えるほどに素晴らしい出来ではあるものの、この流線形が複雑に入り組んだ形状は、画面上で動かすには不向きで、動画マン泣かせであることは容易に想像できます。

現在では、こういうものは動画の際の作画モデルとして立体模型を作成するものですが(最近ではCGモデルの方が主流でしょうか)、当時のタツノコプロにはそうした立体造形を作る担当者も余裕もありませんでした。
窪詔之が一人で原画を担当したというオープニングアニメは、動画では形状をうまく捉えられておらず、中村光毅が全部手直しをしたとのことですが、然もありなんといった感じです。
しかもマッハ号の作画には、立体感を出すために1枚ずつにエアブラシ加工が施されているという手間のかけようです。

これが東映動画や虫プロであれば、こんなデザインは動画制作に向いていないからと、デザイン案の段階で没になっていたことでしょう。少なくとも、動画スタッフが描きやすいようにもっと単純な形状に直されていたはずです。
このデザインがOKになってしまうところに、良いものを見せるためには妥協せずに取り組もうとする、挑戦的なタツノコらしさが伺えます。


マッハ号のギミック
マッハ号には「七つの特殊装置」というギミックがあります。
A オートジャッキ:車両の下部からジャッキが飛び出すギミック。タイヤ交換用だが、走行中に発動させることでジャンプも可能
B ベルトタイヤ:フェンダーからベルトが出てきてタイヤに巻き付き、悪路でも走行可能
C カッター:車体前方から丸鋸が飛び出し、藪や林を切り払いながら進むことが可能
D ディフィンサー:弾丸をも跳ね返す硬質プラスチック製のシールドがコクピットを保護
E イブニングアイ:赤外線で暗闇や霧を見通すことが可能
F フロッガー:ディフェンサーで密閉したコクピット内に空気を送り込み、潜水走行が可能。潜望鏡
G ギズモ号:鳥形の偵察機・通信機
これは、『鉄腕アトム』の「七つの威力」が元ネタではないかと思われますが、これが実に男の子たちの心を鷲掴みにするものでした。
ところが九里一平によると、これは海外(アメリカ)販売の際に規制に引っかかるため、主人公が武器で敵を倒す暴力シーンを描くことを避ける苦肉の策だったという裏話があります。

日本初のリアルなカーレースアニメ
当時の日本のテレビアニメと言えば、『鉄腕アトム』を筆頭に、『鉄人28号』、『エイトマン』、『狼少年ケン』、『オバケのQ太郎』、『ジャングル大帝』、『おそ松くん』、『魔法使いサリー』といったヒーロー・ヒロイン作品やギャグ作品ばかりで、カーレースアニメなどはありませんでした※2
当時の漫画業界においては、関谷ひさしの『少年NO.1』(1960~1963年)『吠えろ!!レーサー』(1964年)『イナズマ野郎』(1968~1969年)、辻なおきの『ヘルメット五郎』(1963年)、堀江卓の『スピードA』(1965年)、横山光輝の『グランプリ野郎』(1968年)など、カーレースというジャンルがトレンドの一角を担っていました。

それだけのポテンシャルを持ちながら、当時はまだアニメの主題として描かれることがなく、日本製アニメはおろか、当時の日本で数多く放送されていたハンナ・バーベラ作品などをはじめとする海外製アニメにもありませんでした。
これは、キャラクターやロボット、動物のようなものを動かすのとは異なり、形の固定した車体やメカを縦横無尽に動かすというのは、当時としてはかなりハードルが高いことだったことが要因ではないかと思われます。
マッハ号のデザイン同様、アニメの経験値がある東映動画や虫プロであれば、その困難さを知るが故に企画段階で止められていたかもしれませんが、アニメの初心者たちばかりだったタツノコプロだからこそ無謀にもチャレンジできたと言えるかもしれません。

驚くことに、『マッハGoGoGo』の演出を担当した笹川ひろし、九里一平、原征太郎、鳥海永行などの演出家たちは、いずれも運転免許を持っていなかったそうで、車に詳しい人に話を聞いたり※3、想像を膨らませて演出したいたのだそうです。
逆に作画を担当したアニメーターたちは、サーキットへ通ってスポーツカーの走りを観察し、時にはコクピットに座らせてもらったりしてリアルな作画を目指したとのこと。

このように、作画はリアルである一方、演出の方は常識にとらわれない分、自由な発想で奇想天外なカーレースシーンを生み出せたようで、それが『マッハGoGoGo』の魅力につながったようです。

次回に続く。

〈了〉


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※1 フェラーリ250 テスタロッサあたりでしょうか。

2 古いカーレースアニメというと『チキチキマシン猛レース』を思い浮かべる人もいるかもしれませんが、この作品は、ハンナ・バーベラ・プロダクション制作の1968~1969年に放送されたアメリカの作品です。
日本では、1970年に放送されており、『マッハGoGoGo』よりも後に制作・放送されたものです。

※3 吉田竜夫の妻である綾子夫人の実弟で、吉田豊治(九里一平)の妻である洋子夫人の兄でもある柴田勝は、竜夫にとっては義弟、豊治にとっては義兄であり、「四人目の吉田兄弟」ともいわれていました。
この柴田勝は、『タイムボカン』シリーズのプロデューサーとして知られるタツノコプロのスタッフでもありますが、かつて自動車整備の仕事をしていたため、『マッハGoGoGo』ではメカニック面でのアドバイザーとなっていたとのこと。