タツノコプロのことをふりかえってみた件 ⑦ 『マッハGoGoGo』の作品内容と1億円の借金


前回は、『マッハGoGoGo』の作品企画・デザインについて注目してみましたが、今回はその続きです。

冒険活劇的なストーリーに無国籍設定
ここで、遅ればせながら、『マッハGoGoGo』のストーリーをざっくり説明してみたいと思います。

天才技士の父・三船大介が設計したレーシングカー・マッハ号に乗り、父が設計した画期的な新型エンジンの開発資金を稼ぐため、賞金レースに参加する18歳の若きレーサー・三船剛が主人公。
剛が、かつて勝手にマシンを持ち出してレースに参加したことで勘当し、行方不明となっている長男・三船研一と同じレーサーの道を目指すことに、父・大介は大反対。
そんな父の反対を他所に、剛は世界各地で繰り広げられる過酷なレースに参加し、悪質な妨害や犯罪組織の陰謀などに対抗しながら、ゴールを目指す物語。

登場人物の名前こそ日本人名ですが、『マッハGoGoGo』は海外(アメリカ)販売を意図して作られたため、生活風景なども意図的に無国籍に見えるように作画されています。
その上、海外では三船剛→スピード・レーサー、くりお→スプライトル、サブ→スパーキーなどといった具合に名前を変更して放送されているため、日本製アニメだと気づかずに見ていた海外の子供たちも多かったようです。

大反対していた父・大介も第4話で早くもレース出場を許し、応援してくれるようになり、剛は心置きなく世界一を目指してレースに挑むことになります。
アメリカをはじめ、エジプト砂漠やアフリカ大陸の縦断耐久レース、南米インカ地下レースなどの世界各地で開催されるレース、さらにはアルプスの雪山、ジャングルの奥地、パリ、香港、ハワイ、果ては大海に囲まれた無人島といった具合に、毎回異なる国々が舞台として描かれており、逆に日本に遠征して忍者カーと対決することもありました。

毎回レースのお話というわけではなく、車がらみの怪事件の捜査協力に駆り出されることもあり、泥棒や暴走集団、犯罪組織などを相手に戦うこともしばしば。

カーレースの疾走感に、敵をやっつける痛快さに加え、ライバルでありながら剛に助言を与えたり、ピンチから救ってくれる謎の覆面レーサーや、家族経営の三船モータースのホームドラマ感、弟のくりおやチンパンジーの三平が繰り広げるコメディ要素など様々な魅力が盛り込まれ、漫画で培われたであろう演出力がいかんなく発揮されています。

スポンサーが決まらず1年間放送見送りで、借金まみれのタツノコプロ
こうして『宇宙エース』の放送が1966年4月に終わる前に着々と制作が進められ、すでに第1話が完成いていた『マッハGoGoGo』ですから、当然『宇宙エース』の放送と切り替わる形ですぐに放送されたと思いきや、放送が始まったのは1967年4月と、なんと1年間もの間隔が空いています。

なぜならスポンサーがつかなかったからです。
実は『宇宙エース』を担当した広告代理店の読売広告社は、子供向けのテレビアニメを手掛けるのはこれが初めてだったそうなので、アニメの売り込みの経験値が低かった点もありそうです。
また、当時の日本では、1966年1~7月に放送された『ウルトラQ』、1966年7月から放送が始まった『ウルトラマン』が大人気となり、空前の怪獣ブームが巻き起こっていました。
マッハGoGoGo』は日本初のカーレースアニメではあったものの、地球の平和を脅かす巨大怪獣に比べればスケールが小さく地味だとスポンサーの目に映ったということもありそうです。

この間、集英社の「少年ブック」1966年6月号から、『マッハGoGoGo』のコミカライズ版の連載が始まります。
多くのスタッフを抱え※1、アニメを作っていたものの、アニメでの収入はゼロで、タツノコプロの収入は吉田竜夫九里一平の漫画原稿料のみ。
スタッフには給料は払わねばならないし、それでも吉田竜夫はスタジオを増設し、スタッフ募集も止めないとあって、当時タツノコプロの借金は1億円を超えていたといいます。
現在の貨幣価値ではありません。60年近く前の1億円です。
日本銀行の公式サイトによると、令和5年(2023年)と昭和40年(1965年)を比較すると企業物価指数が約2.4倍、消費者物価指数では約4.5倍とのことなので、単純に2.4~4.5億となるでしょうか。
東映という大会社を親会社に持つ東映動画とは違い、タツノコプロは個人経営のプロダクションに過ぎません。

手塚治虫の虫プロは、1973年に3億5千万円の負債を抱えて倒産してしまいますから、タツノコプロもかなりリスクの高いチャレンジをしていたことが伺えます。

次回に続く。

〈了〉


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※1 吉田健二によると、『マッハGoGoGo』の頃にはタツノコプロに240~250人の社員がいたとのこと。