タツノコプロのことをふりかえってみた件 ⑫ ギャグ路線が結実した『ハクション大魔王』と『タイムボカン』シリーズの大ヒット

前回は、リアル路線の経験値が結実した『科学忍者隊ガッチャマン』の大ヒットで、その後のリアルSFアクション作品がタツノコプロの看板作品の一翼を担うことになったことを取り上げましたが、今回はもう一つの作品軸であるギャグ路線の作品について取り上げます。

『ハクション大魔王』の大ヒット
時系列的には逆行しますが、タツノコプロで大成功を収めたのは、実はリアル路線の作品ではなく、ギャグ路線の作品の方が先でした。
それが『ハクション大魔王』です。

作品の発案は笹川ひろしで、吉田竜夫との旅行の際に泊まった宿の浴場で、太ったおじさんが大きなクシャミをしたことがきっかけなのとか。そのあまりに突然で大きなクシャミにビックリしたことで、脳裏に稲妻が走ったかのように、それまで常日頃から抱いていたギャグのアイデアが結実して、次々に付随するアイデアが溢れ出したのだそうです。

1969年10月から1年間にわたって放送された作品ですが、現在まで各放送局で繰り返し再放送されている上、続編やリメイク作品、情報番組『ZIP!』内でのショートアニメコーナー、テレビドラマなど、継続して露出があったためか、幅広い年代で認知されている作品となっています。
ギャグ路線の代表的な作品であると同時に、タツノコプロの看板キャラクターの一つにもなっています。

『タイムボカン』のシリーズ化
もう一つ、ギャグ路線でタツノコプロの看板作品となっているのが、『タイムボカン』シリーズです。
特にシリーズ第二弾の『ヤッターマン』は、シリーズ最高傑作として人気を博しました。
放送は当初の予定よりも延長されて2年間にも及び、平均視聴率は20.1%、最高視聴率は第11話の28.4%と、タツノコプロの作品中でも最高記録となっています。

今ではタツノコプロの看板作品ともなった程の『タイムボカン』シリーズですから、意外な気もしますが、実は第1作目の『タイムボカン』は、パイロットフィルム(当時のタイトルは『タンマー大混戦』)を作って売り込むも、当初はスポンサーがつかず、3年間もお蔵入りしていたとのことです。

当時としては、タイムトラベルものというのも珍しいのですが、そこにメカバトルも描かれるという、SF要素のある作品でありながら、作品としてはコメディタッチという、なかなか捻りが利いていて、売り込まれたスポンサーもなる程判断に迷ったのかもしれません。

タイムトラベルを描いた真面目なSF作品なのか、お笑い作品なのか、視聴者も戸惑ったようで、当初の視聴率はあまり芳しくなかったようです。
しかし話数が進むと、これはギャグものだとちゃんと認識されたようで、次第に視聴率が上がっていき、平均視聴率19.0%の高視聴率番組に成長したのです。

この『タイムボカン』が好調だったことから、次回作も同じ路線で行くことが決定しました。
三悪人だけを残して主人公側はキャラを変更することや、ギャグ要素をより高め、物語も三悪人が主体となって進むことの他、ゾロメカなどの新しい要素も加わり、様々なアイデアを盛り込み生まれた『ヤッターマン』が、その後の『タイムボカン』シリーズのスタイルを決定づけることになります。

この『タイムボカン』シリーズは、1975年に放送が始まった『タイムボカン』から、1983年放送の『イタダキマン』まで7作品で8年間も続きました。
平成以降は、2000年にシリーズ復刻と称して『怪盗きらめきマン』が放送され、『ヤッターマン』のリメイク版(2008~2009年)、『タイムボカン』のリメイク版(2016~2018年)の他、スピンオフ作品などが放送されています。
しかし、人気度や認知度の高さで言えば、やはり土曜18:30~19:00枠で放送されていた『タイムボカン』から『逆転イッパツマン』までのシリーズ作品ではないでしょうか。

タイムボカン』(1975年~1976年・全61話)
タイムボカンシリーズ ヤッターマン』(1977~1979年・全108話)
タイムボカンシリーズ ゼンダマン』(1979~1980年・全52話)
タイムボカンシリーズ ヤットデタマン』(1981~1982年・全52話)
タイムボカンシリーズ 逆転イッパツマン』(1982~1983年・全58話)
タイムボカンシリーズ イタダキマン』(1983年・全20話)

原作付き作品『いなかっぺ大将』
タツノコプロは、オリジナル作品にこだわってアニメを制作していましたが、原作付きのアニメ化作品を手掛けたこともありました。
それが、『巨人の星』でも知られる川崎のぼるが、小学館の学年別学習雑誌に連載していた漫画『いなかっぺ大将』です。

タツノコプロにアニメ化の話を持ち込んだのは、広告代理店でした。
雑誌で人気の作品なので是非ともタツノコプロでアニメ化して欲しいとの申し入れでしたが、これまでオリジナルにこだわって作品を作り続けてきたタツノコプロのことです。吉田竜夫社長をはじめ吉田健二九里一平鳥海尽三らは難色を示すも、大切なパートナーである広告代理店が相手ですから、無下に突っぱねることもできません。
そこで吉田竜夫は、広告代理店に対し、担当する笹川ひろしがOKというならやりましょうと言って、判断を委ねることにしたのです。

後日、最終結論を出すために代理店に出向いた笹川ひろしは、吉田竜夫らと気持ちは一緒で、絶対に説得されまいと意気込んで臨んだのだそうです。
ところが、代理店の社長から「生みの親も当然ですが、育ての親でも子供は可愛いものでしょう」と話されると、この一言に心が洗われた気がして思わず「やりましょう、やらせて下さい」と答えてしまったのだとか。

こうして制作・放送されることになった『いなかっぺ大将』は、視聴率も平均18.1%と上々で、放送が2年間も続いたお茶の間の人気作品となったのです。
この後、1981年には六田登の漫画『ダッシュ勝平』、1984年には次原隆二の『よろしくメカドック』など、作品数こそ多くはないものの、原作付きの作品も手掛けていくことになりました。

次回に続く。

〈了〉


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