タツノコプロのことをふりかえってみた件 ⑩ 第四弾は異種格闘技アニメ『紅三四郎』

前回は、タツノコプロがシリアスとギャグの二毛作というスタイルを作り出したお話をしましたが、今回はその続きです。

基本体制となる二毛作方式を見出したものの、1億円にも及ぶ借金を抱え、まだまだ安泰とは程遠いタツノコプロ
第3作目の『おらぁグズラだど』に続き、第4作目もギャグ路線の『ドカチン』を半年間放送。
そんな中で、『マッハGoGoGo』に引き続くシリアスアクションものを模索するタツノコプロでは、『スカイファイターZ』(企画当初は『ブンブン野郎』)という企画が生まれます。

地上がメインだった『マッハGoGoGo』の舞台を空に移すことで、より自由度が広がると、マッハ号と同じく複数の特殊機能を盛り込んだ飛行機が活躍するヒーローアクションものでした。
よほどに自信があったのか、パイロットフィルムを3話分まで完成させ、原画・動画は7話くらいまで進めていたそうですが、敢え無くお蔵入り

そうした中で新たに立ち上がった企画が『紅三四郎』でした。
マッハGoGoGo』に次ぐ、吉田竜夫テイストのリアルアニメ路線作品の第2弾です。

『紅三四郎』の企画
紅三四郎』は、創作の格闘技「紅流柔術」の達人である主人公・紅三四郎が、果し合いの末に父の命を奪った謎の「片目の男」を追って世界各地を旅する無国籍風ロードムービーです。
毎回異なる国が舞台となっており、「片目の男」かと思われる武道家との異種格闘技戦が繰り広げられ、三四郎が繰り出す紅流の派手なオリジナル技が見せ場となっています。
敵との対決に臨む際に、空中に投げた赤い道着を鮮やかに着こんで決めポーズを見せるのが恒例となっており、特撮ヒーローの変身シーンを思わせるこのお約束のシーンも見所となっていました。

当時は、1964年にアジア初となるオリンピックが東京で開催された影響で、高度成長期の日本でもスポーツ人気が急速に高まっていた時期です。
その影響はアニメにも顕著で、『巨人の星』(1968~1971年)をはじめ、『タイガーマスク』(1969~1971年)、『アタックNo.1』(1969~1971年)、『あしたのジョー』(1970年)、『赤き血のイレブン』(1970~1971年)、『男どアホウ!甲子園』(1970~1971年)、『キックの鬼』(1970~1971年)といった具合にスポーツアニメが次々に作られ、人気ジャンルとなっていきました。

1969年に放送が始まった『紅三四郎』は、日本初の本格的格闘アニメで、当時の感覚ではスポーツアニメジャンルの作品でした。
先見性に長けたタツノコプロですから、この時流を見逃さず、いち早くスポーツアニメに乗り出していたわけです。

テレビアニメに先行して、九里一平タツノコプロによる原作漫画が小学館の「週刊少年サンデー」で4か月程連載され、さらには、タツノコプロ名義の別漫画が集英社の「週刊少年ジャンプ」で4週にわたって連載されました。

マッハGoGoGo』では作画スタッフが地獄を見た、リアルテイストの人体作画で、今度は格闘技戦を描かなくてはなりません。
格闘技を描くのは、車を運転する作画よりも難しく、パンチやキックだけではなく敵と組み合う柔術技となると、さらに難易度が高い作画技量が求められました。
止め絵の漫画とは異なり、動きで見せる作画は難易度が高い上、さらには省略を良しとせず、作画に妥協をしないタツノコプロのスタイルから、作画スタッフの負担はかなり大きかったことでしょう。
オープニングの動きのある残像エフェクトシーンなどは、『マッハGoGoGo』のオープニング同様、どうだと言わんばかりに作画の力を見せつけるようなシーンで印象的でした。

『紅三四郎』の見所
作画のこだわりに加え、演出に関してもそのこだわり具台が見て取れます。

各話の基本的な構成は、「片目の男」と目される男の噂を頼りにいろんな国を訪れる三四郎が、そこで美少女と出会い、トラブルに巻き込まれて最終的に「片目の男」と対決するも、人違いであることが発覚。勝敗が決した後、再び「片目の男」を探すために去っていく、というパターンになっています。
時には「片目の男」とは関係のないトラブルに巻き込まれるパターンもあるものの、対決までの流れは一緒。
決闘シーンでは、最初は追いつめられるものの、赤い道着を着るとパワーアップしたかのように敵をやっつけるというのもお約束となっていました。

また、オープニング前の冒頭に、ライフル狙撃に合ったり、殺人犯に間違われたり、スパイに間違われて軍人に拷問されていたりといった衝撃的なシーンで始まることで、インパクトのある導入部で物語に引き込もうとする演出が見られるのも特徴です。
対決する敵もバラエティに富んでおり、鞭使いや投げナイフ使い、幻術を使うミイラ男、強化人間、機関銃を持った軍人たち、猿人の軍団などの他、アフリカでは人間だけでなくライオンと、インドでは人喰い虎と対決したこともありました。
ギャングが大ボスの座をかけて配下の殺し屋同士を戦わせる「殺し屋オリンピック」や、謎の地底王国、猿人の集落など、舞台設定もかなり創作に富んだものとなっています。

テーマに関しても、単なる子供向けアニメとは思われない程に重厚なものとなっていました。
第1話の三四郎はかなり荒っぽくて好青年とは言い難く、負けず嫌いの意地っ張りで、挑発に我慢できずに喧嘩をしたり、他人からの好意を突っぱねたり、ひねくれた乱暴者といった印象です。
世界一だと信じていた父の紅流が敗れたことで愕然となり、復讐心や、雪辱を晴らして紅流が最強だと証明したいという思いから、「片目の男」の行方を追うのですが、数々の出会いや人の生き死にと遭遇する体験から精神的に成長していき、最終回では復讐心からではなく、一人の武道家として「片目の男」と対戦したいと望むようになる、といった深いテーマ性を持っていました。

ところがこの『紅三四郎』は、視聴率的には振るわず、当時は「売れない三四郎」などと揶揄されたこともあるそうです。
今見ても見応えのある作品ではあるのですが、逆に言えば、当時はまだテレビアニメの視聴者層が低年齢の子供たちであることから、ターゲット層がマッチしなかったとも考えられます。
あるいは、三四郎のウリである真っ赤な柔道着が、白黒の画面では伝わりずらく、強力なライバルの不在など、わかりやすく派手なキャラクター性に欠けていたことなど、課題を上げればいろいろありそうです。

しかし、この『紅三四郎』は、『マッハGoGoGo』、実現しなかった幻の企画『スカイファイターZ』と共に、後に『科学忍者隊ガッチャマン』として結実します。

次回に続く。

〈了〉


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笹川ひろしによると、『スカイファイターZ』に、スタッフ一同絶対の自信を持っていたとのことで、放送が決まることを疑わずに制作を進めてしまい、結果的にお蔵入りになってしまいます。
余程にこの企画に自信と未練があったものか、1976年には『スカイ番長』と作品名を変更して再度企画を立ち上げたものの、こちらも放送が叶わず、幻の作品となってしまいました。
企画が通らなかった理由については、飛行機は玩具にしても売れないという読売広告社の判断が一番大きな原因だと鳥海永行が語っています。
ただし、この企画は全く無駄とはならず、後の『科学忍者隊ガッチャマン』の大鷲の健というキャラクターに引き継がれています。