アニメの海外輸出 その③ 海外でのソフト販売

日本ビクターが開発した家庭用ビデオ企画が世界規格となり、世界で家庭用ビデオデッキが普及した1980年代、おかしなことに、当時の日本アニメは海外向けのビデオパッケージ販売がほとんど行われていませんでした。

海外では日本アニメは依然として人気で、日本アニメを見て育った若者たちが次々にファンクラブを立ち上げ、ファンミーティングやイベントでビデオテープを持ち寄って上映会を行うなどの活動をしていました。そうしたファンたちは日本で発売しているビデオソフトを仕入れたり、日本在住の知人にアニメ番組を録画して送ってもらうなどして手に入れた希少なテープを、ファン同士でダビングし合って流通させていました。
これは、利益目的で行われる海賊版商品というものではなく、金銭の授受のない共有行為としてファンコミュニティの中で行われていたものでした。
ファンは大勢いて需要もあるのに、一向に海外向けのビデオパッケージが販売されないため、自作ビデオでやらざるを得なかったのです。

『鉄腕アトム』を発端にあれだけ海外販売で成功した日本アニメが、ソフト化の時代に完全に乗り遅れていたとは、いったいどうしたことかと思いますが、事情通の中には、この頃の日本のアニメ業界は、外販売を海外企業に丸投げしていたため、海外での流通機構を構築する機会を逸したと指摘する見解もあるようですが、真偽の程は不明です。
なぜか日本企業は押し並べて海外へのソフト販売に乗り気ではなく、海外企業が市場開拓を行ってからようやく重い腰を持ち上げるという有様で、そうして海外市場に乗り出した頃には時すでに遅く、インターネットの普及でソフト流通の時代の終焉期になっていました。

この後も日本のアニメ業界は海外の流通に対して奥手の性格を露呈し続け、国内向けソフト販売によるビジネスモデルの崩壊まで国内市場偏重方針を続けてしまい、高いコンテンツ力とは裏腹に、世界市場の流通機構においては海外企業に後塵を拝する状況を今もって打破できずにいます。

1992年にカリフォルニア州サンノゼ行われた第1回Anime Expoの貴重な映像です。

アニメ制作のビジネスモデルの歴史
その① 『鉄腕アトム』から始まった海外販売
その② 昭和時代の海外での日本アニメブーム
その③ 海外でのソフト販売