アニメの海外輸出 その① 『鉄腕アトム』から始まった海外販売
現在では、ネット配信により、海外の日本アニメファンも日本での放送とほぼ同じタイミング作品を視聴できることが当たり前になっていますが、まだインターネットなどがなかった時代はどうだったのでしょうか?
1958年に公開された日本初の劇場用オールカラー長編アニメ『白蛇伝』は、東映ビデオ株式会社の公式サイトの記載によれば、香港、台湾やアメリカ、ブラジルなどで公開されて総額9臆5000万ドルの配給収入を獲得したとのことです。
当時は1ドル360円でしたから3,420万円。労働者の平均月給が1万6,608円(労働省労働統計調査部「昭和33年賃金構造基本調査結果報告書」)という時代ですから、相当な金額であることが窺えます。
1963年1月1日からフジテレビで放送が始まった日本で初めての1話30分の連続テレビアニメ『鉄腕アトム』※は、テレビプロデューサーの藤田潔氏がアメリカの3大放送局の一つであるNBCへの売り込みに成功し、フジテレビで放送予定だった1年分(52話分)を1話1万ドルで購入する契約を締結。さらにオモチャなどの関連商品や出版物などのマーチャンダイズ契約も同時に結び、ロイヤリティを含めると日本円で3億円以上の契約だったとのことです。
こうして『鉄腕アトム』は、日本での放送と同年の9月3日に『ASTRO BOY』と名前を変え、アメリカで放送を開始したのです。
この話にはオチがあり、『鉄腕アトム』におけるNBCとの契約は、制作会社である虫プロとの直接交渉だったためにフジテレビはこのことを知らず、NBCで『ASTRO BOY』というアニメが放送を開始したことを聞いて買い付けに行ってみたら、自局で放映していた『鉄腕アトム』だったというのです。
『鉄腕アトム』の海外販売の大成功を知った他社も、これに続けと次々にアニメ製作に参入して海外販売を行ないました。その結果、アニメ作品の多くが海外で放送されることになり、当時の幼少期に日本のアニメを見て育ったという外国人が、現在の海外アニメブームの下地を作ったとも言われています。
※『鉄腕アトム』:フジテレビ系列にて1963年1月1日から1966年12月31日まで全193話を放送
アニメ制作のビジネスモデルの歴史
その① 『鉄腕アトム』から始まった海外販売
その② 昭和時代の海外での日本アニメブーム
その③ 海外でのソフト販売