タツノコプロのことをふりかえってみた件 ⑨ グズラから始まるタツノコ二毛作

前回まで数回にわたり、『マッハGoGoGo』におけるタツノコプロの挑戦を紹介しましたが、今回はタツノコプロの第3作品である『おらぁグズラだど』を取り上げます。

アニメ第3弾はギャグ作品
マッハGoGoGo』では、それまでになかったリアルタッチの絵柄で、それまで描かれたことがなかった本格的なカーレースを主題にしたテレビアニメということで、タツノコが誰もやったことがないことをやろうという意気込みで作り上げたことを紹介しましたが、第3作品は、打って変わってギャグ作品となっています。

しかも、日本初のギャグアニメといわれる『オバケのQ太郎』(1965~1967年)の大ヒット以来、『ロボタン』(1966~1968年)、『かみなり坊やピッカリ・ビー』(1967~1968年)など、人間の家に居候することになったオバケやロボット、雷様などが引き起こす騒動が描かれる定番パターンを怪獣に置き換えた内容です。

この作品企画の元となったのは、笹川ひろしが小学館の「週刊少年サンデー」1966年3月13日号に発表した読切漫画『オンボロ怪獣クズラ』でした。
時代は『ウルトラマン』から始まった怪獣ブームの真っ只中でしたから、『オバケのQ太郎』の定番パターンに怪獣という構図はいかにも子供たちにウケそうで、手堅い企画だったとも言えそうです。

同じように考える人はいるもので、アニメから特撮番組まで幅広く手掛けていたピー・プロダクションと言う会社が、『ちびっこ怪獣ヤダモン』という作品を制作していました。
しかも『おらぁグズラだど』と同じ1967年10月に、『ちびっこ怪獣ヤダモン』は国際貿易と日本水産の二社提供で毎週月曜19:00から、『おらぁグズラだど』の方は森永製菓の一社提供で毎週土曜19:00から、テレビ局も同じフジテレビで放送が始まっています。

ちびっこ怪獣ヤダモン』の内容も、『おらぁグズラだど』と同様、怪獣の子供が、兄妹のいる人間の家に居候するお話で、この辺りの設定もかなり似通っています。

『おらぁグズラだど』オープニング
『ちびっこ怪獣ヤダモン』オープニグ

タツノコプロでは、他がやらないことをやるんじゃなかったのか、というツッコミも起きそうですが、これは元となった漫画を描いた笹川ひろしが提案した企画で、作品の幅を広げる意味合いと同時に、『マッハGoGoGo』の放送中での企画であったこともあり、少し省エネができる作品が必要だったという事情もあったようです。

海外販売までを見越してカラーで作った『マッハGoGoGo』に対し、『おらぁグズラだど』はモノクロで作られており、その理由を、どこまで本気かわかりませんが、文芸部長の鳥海尽三は、『マッハGoGoGo』が切羽詰まった状況だったことや、そんなに当たると思わなかったからと語っています。
鳥海は、この『おらぁグズラだど』について、「意外にも当たっちゃった」とも言っており、実際に平均視聴率18.5%と数字の上では『宇宙エース』(16.5%)と『マッハGoGoGo』(13.9%)を超えているのです。

絵柄の難しさや作画のこだわりで作画枚数を贅沢に使う、いわゆる作画カロリーが高い『マッハGoGoGo』のような作品ばかりでは制作が回らないので、作画カロリーの低い作品も間に挟もうという「二毛作」を行ったわけです。
これも笹川ひろし吉田竜夫を説得して始めたことらしいのですが、これが功を奏し、吉田竜夫のリアルテイストの作品と、笹川ひろしによるギャグ作品がタツノコプロの二枚看板となり、さらには、そのどちらの枠にもハマらない『昆虫物語 みなしごハッチ』や『けろっこデメタン』のような作品も生まれることになっていったのです。

それもこの『おらぁグズラだど』の成功があったればこそで、もしもこの作品の成績が振るわなかったら、やっぱり吉田竜夫テイストでないとダメなんだと、作画カロリーの高い作品だけに邁進してどこかで限界を迎えたかも知れず、現在にまで残る会社となっていなかった可能性すらあり、その意味では、この作品は重要な岐路であったと言えそうです。


次回に続く。

〈了〉


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