タツノコプロのことをふりかえってみた件 ④ アニメ制作体制の確立

前回は、漫画作家集団がアニメ制作プロダクションとしてスタートラインに立つところまでを見てみましたが、今回はその続きです。

アニメ制作体制の確立
手塚治虫の虫プロという先人があるものの、東映動画のような大企業ではない個人企業レベルのスタジオが、たった1年でゼロからテレビアニメを作って放送させるというのは驚異的な仕業と言えます。
しかも手塚治虫や『鉄腕アトム』というネームバリューもない作品で、申し分のない程の視聴率を出し、打ち切られることなく1年間も無事放送を継続させたのですから、元々の分業体制やスタッフの作画能力の高さなどの土台があったことが大きかったのかもしれません。

記念すべきアニメ第一作『宇宙エース』が放送されると、タツノコプロの存在も業界内で知られるようになっていき、虫プロのアニメーターである木下敏雄(木下敏雄)や、同じく虫プロの文芸部だった鳥海尽三※1などの経験豊富なスタッフも移籍してきました。
特に鳥海尽三は、タツノコプロのアニメ制作体制に大きな変革をもたらしました。
元は日活で実写映画の脚本を書いていたプロの脚本家である鳥海尽三の入社により、タツノコプロに企画文芸部が新設されたのです。

驚くべきことに、それ以前のタツノコプロでは、各話の担当者が、1話ごとにストーリーを考えながら絵コンテを作る漫画制作の延長のような作り方をしたいたそうで、シナリオの重要性についての認識が薄かったというのです。
それが、『宇宙エース』第9話から脚本に参加した鳥海尽三により、作品の明確なテーマ性や一貫性を持ったシナリオ制作が導入され、それが視聴率UPにもつながったと鳥海本人が後年語っています。

鳥海尽三がやったことは、現在では当たり前になっている「シリーズ構成」というものでした。
1話ずつ脚本担当者が思いつきのストーリーを勝手に作るのではなく、各話の担当者の脚本を監督してシリーズ全体が共通のテーマを持ったものになるよう方向性を統一し、さらには、ギャグ回やシリアス回をどこに持ってくるかなどのバランス配分なども考えて指示を出す役割です。
これにより、1話完結型のエピソードの集合体のような作品ではなく、シリーズを通して一本の長編作品となるような一貫したテーマ性を持つ骨太なタツノコプロの作品が次々と生み出されるようになったのです。

吉田竜夫の絵の凄さが足枷に
スタッフが揃い、体制が確立したタツノコプロが、第二作として企画したのが『マッハGoGoGo』でした。

当時のテレビアニメは、手塚治虫や藤子不二雄原作のアニメをはじめ、ギャグものが多く、そのほとんどがディフォルメされた絵柄の作品ばかりで、子供向けの作品でもあることから、それが当たり前だと思われていた時代です。
宇宙エース』も、元々東映動画からの提案で始まった企画であることもあり、当時の既成概念から脱してはいませんでした。
九里一平がキャラクターデザインを担当した主役のエースからして、『鉄腕アトム』を意識したようなキャラクターな上、作品は全体的に子供っぽい緩やかな絵柄で作られていました。

ところが、『マッハGoGoGo』は、吉田竜夫が「少年画報」に連載していた自動車レース漫画『パイロットA』をベースにしており、主人公の三船剛は、吉田竜夫が得意とするリアルタッチの七頭身のキャラクターでした。
ディフォルメされたゴムのような肉体表現のキャラクターと違い、骨格や筋肉の動きまで意識された絵柄ですから、動かす方は大変です。
実際にスタッフからは無理だという声が挙がり、笹川ひろしが描けるスタッフがいないからと、妥協するよう説得したそうですが、吉田竜夫は、描けないなら描けるように訓練しろと言い放ち、決して妥協を許さなかったそうです。

海外販売を見越してカラー作品に
タツノコプロの挑戦は、リアルタッチなキャラクターや作画のこだわりだけではありませんでした。
なんと、日本ではまだ白黒放送が主流な時代にあって(当時はタツノコプロにすらカラーテレビがなかったとのこと)、『マッハGoGoGo』はフルカラーで制作されたのです。
これは、日本国内の放送では採算が取れないとの判断から、海外(主にアメリカ)に販売することを視野に入れての戦略でした。

とはいえ、2作目にして、いきなり飛ばし過ぎでは、と思われる程、そのチャレンジは貪欲です。
少し前までアニメの作り方すら手探り状態だった集団が、劇画タッチのリアルな絵柄にフルカラーという、他のアニメ制作会社でもなかなかやっていないことを、先んじてやってのけたわけですから、当時のタツノコプロの底力の凄さを垣間見る思いがします。

次回に続く。

〈了〉


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※1 鳥海尽三(1929~2008年)は、日本大学の映画学科を卒業し、日活映画『お月さん今晩わ』で脚本家デビュー。その後も数本の映画脚本を執筆するも、映画からテレビへの時代転換期で仕事が減ったために、虫プロに転職。虫プロでは文芸部に所属するも、手塚治虫原作の作品しか扱うことができず、オリジナル作品をやりたいとタツノコプロに移籍。
タツノコプロ内に新設された文芸部は鳥海一人きりの部署で、後に企画も任されるようになり、鳥海がいろんあところから人材を集め、企画文芸部長兼製作部長として数多くのタツノコプロ作品を手掛けました。