練馬区にかつてあったトキワ荘的な聖地の件② まんが画廊

前回ご紹介した「大泉サロン」の他に、もう一つマンガ家たちが集うトキワ荘的な聖地がありました。
それが練馬区の江古田にあった喫茶店「まんが画廊」です。

昭和51年(1976年)9月10日に江古田駅付近の千川通り沿いのビルの地下1階でオープンしたこの店は、コーヒー専門店を謳いながら、その実、アニメビデオ上映から、セル画や設定資料集、ポスター、同人誌やセル画の展示・販売、コピーサービスまで行う異色の店でした。
店内では、「宇宙戦艦ヤマト展」や「村野守美肉筆原画展」、「ダメおやじ展」、「いがらしゆみこ展」といったものを開催しており、アニメやマンガ雑誌に店の広告が掲載されると、これを目当てにファンたちが訪れるようになったわけです。

これには、手塚治虫のスタッフたちで構成されるアニメプロダクションの「ひろみプロ」※1が経営母体だったことが大きかったようです。※2
そのこともあり、マンガ家や編集者、アニメーターなどをはじめ、マンガやアニメの業界人、さらにはその予備軍たるアニメやマンガのファンたちが多数出入りしていたといいます。

店には、自由にイラストや告知を描き込むことが出来るらくがき帳が置かれており、客たちがこれを使って情報交換やコミュニケーションを取っていたとのこと。
このらくがき帳は、対象は店に出入りする人のみではあるものの、現在のX(旧Twitter)やpixv的な機能を果たしていたと思われ、単なる喫茶店以上の情報拡散能力を持っていたことがわかります。

この「まんが画廊」に集った常連客たちの面々というのが、

ゆうきまさみ(1957年生)マンガ家『機動警察パトレイバー』『新九郎、奔る!』
しげの秀一(1958年生)マンガ家『頭文字D』『MFゴースト』
永野護(1960年生)メカデザイナー・アニメ監督
川村万梨阿(1961年生)声優(1991年に永野護と結婚)
とまとあき(1959年生)小説家
小牧雅伸(1954年生)アニメ雑誌「月刊アニメック」元編集長
井上伸一郎(1959年生)「月刊アニメック」元副編集長・「月刊ニュータイプ」元編集長
小黒祐一郎(1964年生)アニメ雑誌「アニメスタイル」編集長
白山隆彦(生年不明)「富士見ファンタジア文庫」元編集長
蛭児神建(1958年生)元小説家
谷口敬(1955年生)マンガ家
沖由佳雄(1957年生)マンガ家
ぶらじま太郎(生年不明)ライトノベル作家
孤ノ間和歩(生年不明)マンガ家
計奈恵(生年不明)マンガ家
豊島ゆーさく(生年不明)マンガ家
森野うさぎ(生年不明)マンガ家
速水翼(生年不明)マンガ家(しげの秀一の元妻)
破李拳竜(1958年生)マンガ家

といった方々。

特にゆうきまさみなどは、北海道から上京して就職していた19歳の時に「宇宙戦艦ヤマト展」目当てに店を訪れるようになり、常連客たちの影響でマンガを描きはじめ、『宇宙戦艦ヤマト』のパロディマンガのコピー本を配ったりしていたそうです。
それが店の客の目に留まり、創刊まもない『月刊OUT』でパロディマンガを描ける人を探していることを教えられ、編集者にスケッチブックを見せに行ったところ、運よく採用してもらえたとのこと。
しかし、元々マンガ家を目指していたわけではなく、プロのマンガ家のアシスタント経験すらない素人で、マンガの作法もわからなかったそうで、「まんが画廊」で知り合ったしげの秀一(同人活動あがりで、当時はひおあきらのアシスタントをしていました)にマンガの描き方を教えてもらったのだとか。
その後、「月刊アニメック」でもマンガを連載することになり、さらに小学館の『週刊少年サンデー』での連載を任せられるまでになります。

1982年、ゆうきまさみが仲間たちと「まんが画廊」で企画ごっこに興じていた中で生まれたのが『機動警察パトレイバー』の原型企画(近未来の日本を舞台に、巨大ロボットが街中に入り込む警察ドラマ『バイドール』)で、制作プロダクションで知り合ったメカデザイナーの出渕裕にこの企画を見せたところ、気に入ってアニメ制作会社のサンライズへと企画を持ち込むことにしますが、この時は受け入れられず頓挫。
その後、脚本家の伊藤和典とキャラクターデザイナーの高田明美を加えて計画を練り直してバンダイに持ち込み、OVA化に漕ぎつけます。
OVA制作にあたって、監督として押井守が加わり、5人によるクリエイターグループ「ヘッドギア」が結成されたのもこの時です。
OVA制作と同時進行で、ゆうきまさみによるマンガ連載も始まり、メディアミックス展開されたのは、みなさんもご存じでしょう。

現在も続くこのシリーズ作品の発端となったのが、「まんが画廊」であり、『機動警察パトレイバー』の誕生の地でもあるのです。
もっと言えば、「まんが画廊」がなければ、マンガ家ゆうきまさみは誕生せず、『機動警察パトレイバー』もなかったわけです。

ゆうきまさみの件は一例に過ぎず、この「まんが画廊」の人脈や繋がりがきっかけで業界に入ったり、同人誌のメンバーになったりといったことが多数見られ、この店の存在や影響力というものは、当事者たちにとっては大きなものであったことが想像できます。

まんが画廊」が入っていたビルが現在も健在ですが、当時を思わせるものは何も見られません。
60冊以上に及ぶらくがき帳が保存されているとの情報もあることから、クラウドファンディングなどをジ活用して、これらの資料や常連客たちの貴重な証言や思い出話などをまとめ、書籍化する、あるいは資料館的なものを作るなど、他力本願ながら、有志方々に是非とも頑張っていただきたいところです。

ゆうきまさみ初期作品集 early days (1)
究極超人あ〜る (1)
機動警察パトレイバー (1)
ファイブスター物語デザインズ 7
頭文字D (1)

〈了〉


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※1 「ひろみプロダクション」は、手塚プロダクションから生まれたプロダクションでした。
当時、旧・虫プロが機能停止状態だったために、手塚治虫のマンガ制作のための会社だった手塚プロダクションでもアニメを制作するようになっていましたが、手塚作品以外の企画は手塚プロの名前でやるわけにはいかないとの理由から、経理担当だった斎藤ひろみ氏を社長に据えて新しいプロダクション(企画者集団)を立てたのが「ひろみプロダクション」だったのです。
『サンダーマスク』(1972~1973年放送)、『ミラクル少女リミットちゃん』(1973~1974年放送)などの企画を手掛けていました。

※2 アニメ関連の企画デザイン会社・伸童舎(1981年創業)の野崎伸治社長は、公式サイトの代表メッセージで、「まんが画廊」は手塚治虫氏のスタッフが集まって生まれたと語っています。
同サイトの社歴ページでは、創業者である野崎欣宏が、「まんが画廊」のプロデュースを行っていたと記されています。
「まんが画廊」の運営会社として広告記事等に記載が見られる「伸興社」は、野崎欣宏がプロデューサーとして在籍していた会社です。
「まんが画廊」のらくがき帳は60冊以上もあり、そのうちの26〜63巻については、現在は伸童舎が保管しているとのこと。