4月7日はガンダムの放送が始まった日

4月7日は、『機動戦士ガンダム』が名古屋テレビ、テレビ朝日系列にて放送を開始した日です。
放送の年は1979年なので、ちょうど45年前のことになります。

先日3月31日に、動く実物大ガンダムを展示するGUNDAM FACTORY YOKOHAMAが、約3年3か月間の営業を終了し、グランドフィナーレイベントの模様がYouTubeで無料ライブ配信されましたが、来場者は150万人以上を超えているそうです。

作品としては、「ファーストガンダム」とも呼ばれるこの初代シリーズから、テレビシリーズ28作品、劇場版30作品、OVAシリーズ20作品、WEBアニメ11作品の計89作品が製作され、最新作である『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』は1月26日に劇用公開されて現在も上映中と、45年間もの長きにわたり、作品が継続的に製作・発表されてきた日本最大のシリーズアニメ作品です。

ちなみに、『ドラえもん』は、同じ1989年4月に、同じテレビ朝日で放送を開始した同い年※1で、連続放送年数では圧倒的に長いものの、作品タイトル数的には、劇場版66作品とテレビシリーズ1作品(もしくは2作品)を入れてもガンダムシリーズには及びません。
これ程までに長い間、日本はおろか世界中で支持されている『機動戦士ガンダム』という作品ですが、実は打ち切り作品であることを知る人は少ないでしょう。

制作したのは、日本サンライズという制作会社で、現在はバンダイナムコグループの傘下で、企業体としては存在せず、ブランド名として「サンライズ」の名前が残されています。
当時の日本サンライズは、独立起業したばかりの小さな制作スタジオでした。
元々、虫プロから独立した有志が設立した会社で、企画と営業を行う創映社と、アニメの実制作を担うサンライズスタジオという体制となっていました。

会社設立に際し、映画の製作・配給会社である東北新社の出資を仰ぎ、いわゆる子会社という立場だったため、当時の創映社は、東北新社の制作する作品の下請けに甘んじていました。
それが、玩具メーカーのクローバーというスポンサーを獲得したことで、東北新社傘下から離脱し、日本サンライズとして独立を果たします※2
この独立した会社で『無敵超人ザンボット3』『無敵鋼人ダイターン3』というオリジナル作品を手掛けた後に、第3作目として企画・制作をスタートしたのが、『機動戦士ガンダム』だったわけです。

独立は果たしましたが、スポンサーが玩具メーカーですから、玩具を売るためのアニメを作らねばならず、クローバーの要望や注文を受けつつ、『無敵超人ザンボット3』『無敵鋼人ダイターン3』という、当時人気だったスーパーロボット路線のオリジナル作品を1年シリーズで制作しました。

無敵超人ザンボット3』は商業的にも成功し、つまりはロボット玩具が売れたわけで、これに自信を得たクローバーは今後も年1本のロボットアニメを制作していく方針を固め、『無敵鋼人ダイターン3』では玩具製品のラインナップも大幅に増産して年対比で150%の売上を達成する程の成功を収めます。
この2年連続の成功でクローバーは喜び、日本サンライズへの信頼度も高まったこともあって、次回作では企画に対しても自由裁量を認める姿勢になっていたようです。

ところが、こうしたクローバーの思惑とは裏腹に、日本サンライズ側では、このまま1年で終わってしまう作品を作っていては先がなく、東北新社時代の下請けに戻ってしまうという不安を抱いていました。
同時に、再放送や映画化(1977年劇場公開)により、当時は社会現象とも言える人気を得ていた『宇宙戦艦ヤマト』のように、映画化してテレビ放送終了後も企画展開ができるような作品を作り、日本サンライズの名前を業界に知らしめたいという野望もありました。
そこで、前2作品を手掛けた当時37歳の富野喜幸(現・富野由悠季)を中心に、中高生以上のファンに支持を得た『宇宙戦艦ヤマト』にならってハイターゲットを強く意識して企画を進めます。

1978年11月の初期企画「フリーダムファイター」では、宇宙戦争を舞台にしていたもののロボットは登場せず、『宇宙戦艦ヤマト』を意識した作品構成となっていましたが、クローバーの社長からのNGで、結局ロボットを登場させることになります。

そこで、ロバート・A・ハインラインのSF小説『宇宙の戦士』に出てきた全高2.5m程度の装甲強化服「パワードスーツ」を元にロボットのデザインを制作。
しかしこれも、子供受けが良い巨大ロボットにすべきというクローバーの要望を受け、妥協案として『マジンガーZ』と同じ18mに設定します。
名称も「パワードスーツ」では権利関係で問題があるという懸念から「モビルスーツ」とし、「ガンボーイ」の仮題で企画書を制作。

さらに企画が練られ、『機動戦士ガンダム』の企画書が完成したのが1979年1月。
対象を「児童全般」としながらも、シリーズ・キャプション(説明文)には「君は何に生命をかけられるか!?」との文言が見られ、作品テーマに「自由と義務」、演出テーマに「少年から青春を見上げる」、映像には「修羅の連続」と記されており、明らかに児童向けとは思われない矛盾した企画となっていました。

当時、カッコイイ正義のヒーローがスゴいパワーを持ったロボットに乗って、バッタバッタと悪を打ち倒すスーパーロボットアニメを見慣れた当時の子供たちには、なかなかハードな内容だったかもしれません。
4月の初回放送時の視聴率は振るわず、その後も視聴率が低迷していたため、クローバーの要望で、量産型のザクの他に、グフドムといった「新型」が導入されることになり、シャアも人気低迷の要因の一つだとして、左遷されることになってしまいます。
このシャアの左遷時には、中高生のファンからテレビ局へと抗議の手紙が殺到したそうで、皮肉にも日本サンライズの狙い通りのファン層がついていたことが証明されました。
しかし、コアなファンがついても、全体的には視聴率は伸び悩み、関連商品の売上も不振とあって、富野監督はクローバーから叱咤や怒号を受け続けていたといいます。

実はこの商品の売上不振には理由がありました。
版権窓口である広告代理店の創通エージェンシーは、出資を募る際に各スポンサーに低年齢向け作品だと説明していたため、クローバーをはじめ各社とも『無敵超人ザンボット3』、『無敵鋼人ダイターン3』と同じく低年齢向けの商品を展開したために、実際のファン層との不一致が起きており、これが関連商品の売上不振を招いていたのです。

その後のテコ入れ策も効果がなく、視聴率も売上も挽回できず、ついに全52話の予定を全43話に変更しての打ち切りが決定してしまいます。
ところが皮肉なことに、アニメ雑誌での熱意ある特集記事などの後押しもあって、中高生や女子の間で評判が高まり、打ち切り決定後から人気が急上昇。
放送終了後にはファンによる再放送嘆願署名運動なども起こり、再放送、再々放送を重ねることになります。

初回の放送当時、日本サンライズは、売上補填のためにクローバーにプラモデルの商品化を打診しましたが、玩具が売れていないのにプラモデルが売れるはずがないと拒否されてしまいます。
しかし日本サンライズはプラモデルの商品化を諦めず、メーカーを募った結果、クローバーの了解を得て1979年12月に商品化権を取得したバンダイ模型が、初回放映終了から半年後の1980年7月19日にプラモデル「1/144 ガンダム」を発売します。

結果は言わずと知れた大ヒットで、以降、ザクグフといったモビルスーツが次々に発売された一連のプラモデルが、いわゆるガンプラとして爆発的な売上を記録し、ガンダム人気をさらに広げる要因ともなり、現在まで続くシリーズの礎となったわけです。
ガンプラ人気で富を築いたバンダイは、その後大会社に成長、日本サンライズはバンダイ傘下の子会社となり、ガンダムシリーズもバンダイナムコグループのコンテンツの一つとなっています。

一方のクローバーは1983年に倒産してしまいます。
クローバーは、ガンプラを蹴ってガンダムの恩恵を得られず、判断を誤って倒産したと揶揄されがちですが、実際にはガンダムの恩恵は充分に受けており、ガンダムブーム最中の1981年には過去最高の年商を記録している程でした。
では何が要因だったのかと言うと、ガンダムブームが下火となり、挽回しようとクローバーがメインスポンサーとなった1983年放送の『亜空大作戦スラングル』と『聖戦士ダンバイン』の2つの作品の両方で、玩具売上が不振で大きな打撃を受けたことにあるとされています。

ガンダムの創生の物語と、それに関わった人々や企業の盛衰に注目するとなかなかにドラマチックなので、いろんな方面の様々な人たちの証言やインタビューなどをまとめ上げ、一つの物語として実写ドラマ化して欲しいところです。

〈了〉


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1 『ドラえもん』は現在のテレビ朝日のシリーズの前に、1973年4~9月に日本テレビ系列で放送されたシリーズもあります。
シンエイ動画が制作するテレビ朝日版とは異なり、日本テレビ動画という制作会社が制作したもので、現在のシリーズとは、原作マンガが共通というだけで、繋がりがありません。
日本テレビ動画は、何らかのトラブルを抱え、社長が失踪という事態になり、その影響でこの初代『ドラえもん』はわずか半年で打ち切りとなってしまいました。日本テレビ動画自体も『ドラえもん』の放送終了と共に解散され、ほどなく廃業しています。

※2 創映社は『勇者ライディーン』『超電磁ロボ コン・バトラーV』などをヒットさせますが、作品をヒットさせても、その収益は親会社である東北新社のものとなり、社内では不満と共に独立を望む声が高まっていたとのことです。