『葬送のフリーレン』に見る外国語由来のネーミングの問題 後編 日本作品に変な人物名が多い理由

日本のマンガやアニメの登場人物は変わった名前が多いという特徴があります。
佐藤一郎や山田太郎のように、平凡な名前のキャラクターはほとんどいません。
そうした名前は主に「モブ」と呼ばれる脇役につけられる名前となっており、日本の作品においては、基本的に平凡な名前の登場人物は重要キャラではないという記号にすらなっています。
ところが、海外作品の場合は、多くのキャラクターが平凡な名前である場合の方が多いという違いがあります。

ここで、海外のコミックや映画のキャラクターとして代表的なマーベルコミックとDCコミックの名前の例を見てみましょう。

<マーベルコミック>
アイアンマントニー・スターク
キャプテン・アメリカスティーブ・ロジャース
ハルクブルース・バナー
スパイダーマンピーター・パーカー
ドクター・ストレンジスティーヴン・ストレンジ
アントマンスコット・ラング
ブラック・ウィドウナターシャ・ロマノフ
ホークアイクリント・バートン
キャプテン・マーベルキャロル・ダンヴァース
プロフェッサーXチャールズ・エグゼビア
ウルヴァリンローガン
サイクロップススコット・サマーズ
マグニートーエリック・レーンシャー

<DCコミック>
スーパーマンクラーク・ケント
バットマンブルース・ウェイン
ワンダーウーマンダイアナ・プリンス
フラッシュバリー・アレン
アクアマントム・カリー
サイボーグビクター・ストーン
キャットウーマンセリーナ・カイル

ブラックパンサーの本名はティチャラというような変わり種ですが、これはアフリカにある架空の王国ワカンダの君主であるという設定であるため、ジョンやトムではおかしいとばかりの設定のようですが、基本的にヒーローたちの本名は平凡なものばかりの印象があります。
これは、平凡な人間がスーパーヒーローになって戦うというコンセプトを考慮すると、名前も敢えて平凡なものにしているとも考えられなくもありません。

しかし、『ダイ・ハード』シリーズのジョン・マクレーンや、『ジョン・ウィック』シリーズのジョン・ウィック、『ターミネーター』シリーズの人類を救う英雄の名前もジョン・コナーですし、『ランボー』もジョン・ランボー、アーノルド・シュワルツェネッガーの『コマンドー』での役もジョン・メイトリックスで、みんなジョンです。
英語圏やキリスト教圏では、ジョンやマイケル、ジャック、ピーター、マーク、デイヴィッドなど、キリスト教の影響で聖人を元にした男性名が多い(女性名は圧倒的にマリアが多い)という事情もありますが、さすがに平凡過ぎるのではと思えてきます。

007』シリーズのジェームズ・ボンドも『ダーティハリー』シリーズのハリー・キャラハンも、『インディ・ジョーンズ』シリーズのインディアナ・ジョーンズ(本名はヘンリー・ジョーンズ・ジュニア)や『ミッション・インポッシブル』シリーズのイーサン・ハント、『トゥームレイダー』シリーズのララ・クロフト、『バイオハザード』シリーズのアリス・アバーナシー、『アバター』のジェイク・サリーもそれ程珍しい名前ではありません。

どうにも英語圏やハリウッド系の映画の主人公で、変な名前を見つけるのは難しく、平凡な名前、というよりも誰もが人名だと認識できる一般的な名前が選ばれているようで、わかりやすさ、聞き取りやすさを重視しているのではとも思われます。

また、多民族国家であり、各民族にある名前の傾向というものの影響もあるようです。
ムハンマドにしたらアラブ系やインド系、ホセにしたらポルトガル語圏、アフマドやアリならイスラム教徒(北アフリカ、東インド)、リーやウェイなどは中国系といった具合に、名前によってキャラクターに民族色が付き過ぎてしまうという事情もあり、下手な名前はつけられないので、平凡で無難な名前が付けられているのかもしれません。

一方日本の場合は、『仮面ライダー』は本郷猛ですし、『ウルトラマン』はハヤタ(早田進)、『ウルトラセブン』はモロボシ・ダンと、決して一般に存在しない名前というわけではないものの、やや力強さやカッコ良さを感じるネーミングになっています。
やはり、佐藤一郎や山田太郎ではさすがにかっこ悪いのでしょう。
この他、アクションヒーロー作品の主人公などは、『鬼滅の刃』の竈門炭治郎、『呪術廻戦』の虎杖悠仁(いたどりゆうじ)『僕のヒーローアカデミア』の緑谷出久(みどりやでく)、『ジョジョの奇妙な冒険Part3 スターダストクルセイダース』の空条承太郎、『グラップラー刃牙』の範馬刃牙など、現実には存在しそうもない珍しい名前ばかり。
ヒーローもの以外のジャンルでも『巨人の星』の星飛雄馬、『あしたのジョー』の矢吹ジョー、『マジンガーZ』の兜甲児、『宇宙戦艦ヤマト』の古代進、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の両津勘吉、『名探偵コナン』の江戸川コナン、『うる星やつら』の諸星あたる、『SLAM DUNK』の桜木花道、『DEATH NOTE』の夜神月(やがみライト)、『はじめの一歩』の幕之内一歩、『BLEACH』の黒崎一護、『銀魂』の坂田銀時、『ハイキュー!!』の日向翔陽(ひなたしょうよう)、『弱虫ペダル』の小野田坂道、『Dr.STONE』の石神千空といった具合に、唯一無二な特別な名前がつけられているものが圧倒的に多い印象です。

特に「週刊少年ジャンプ」の主人公などはこの傾向が強く、キャラ付けや個性を反映したネーミングが目立ちます。
さらにもう一歩踏み込んで、『ハイスクール!奇面組』や『燃えるお兄さん』、『まじかる☆タルるートくん』など、怒裸権榎道(どらごんえのみち)、酢張丹悦楠(すぱるたんえっくす)、座剣邪寧蔵(ざけんじゃねえぞう)といった具合に、登場人物の多くの名前がダジャレや語呂合わせで付けられているというものすらあり、こうした名前で遊ぶ傾向は、ジャンプマンガの持ち味にもなっています。

特殊能力を持たない一般人を描いた作品ですら、フグ田サザエ磯野かつお野比のび太さくらももこ野原しんのすけといった具合に珍しい名前ばかりです。
タイガーマスク』の伊達直人や『タッチ』の上杉達也、『美味しんぼ』の山岡士郎といった比較的平凡な名前は少数派で、『ドカベン』の山田太郎※1のように、平凡さを表現するために意図的に付けられているものもありますが、これも特殊なケースと言えるでしょう。

音訓読みを持つ唯一の言語である日本語の特性
このように、海外においてはあまり見られない極端に変わった名前がこれ程までに多用される背景には、実は日本語の特性が大きく影響しています。
日本人の多くは、あまりにも当たり前に使っているために自身では気づき難いのですが、日本語の特殊性はかなり異常です。
そもそも、漢字を使っている、いわゆる漢字文化圏に属する国は、中国、日本、台湾、北朝鮮、韓国、ベトナム、シンガポールで、その内、日常的に漢字を使用しているのは中国、日本、台湾に過ぎません(北朝鮮とベトナムは公式に漢字使用を廃止、韓国とシンガポールの使用は限定的)。
この漢字文化圏の中でも、音訓読みがあるのは日本だけです。

うる星やつら』には「錯乱坊」と書いて「チェリー」と読ませるキャラクターが出てきます。
サクラ先生の伯父であることからサクランボで、そのサクランボの音に不吉な面相で災厄の元凶たる破戒僧であることから「錯乱」という意味の漢字を当てて寺房の住職を表す「坊」をつけた名前です。
日本人であれば、「錯乱坊(チェリー)」という名前を見ただけで、何の説明もなく、一瞬でこれらの設定を理解できるわけです。
ちなみに、Wikipediaの多言語版を見てみると、英語の場合は「Cherry」、中国語の場合は「錯亂僧(又名「櫻桃」)」となっており、このニュアンスがどこまで伝わっているものか、なかなかに難しそうです。

同じく『幽☆遊☆白書』の主人公・浦飯幽助も、英語訳では単に「Yusuke Urameshi」と音のみのアルファベットで表記されてしまいますから、幽霊の常套句である「うらめしや」や「幽」の字を入れたダジャレ要素などは、海外ではほぼ伝わらないかと思われます。

とある魔術の禁書目録』では、「禁書目録」と書いて「インデックス」と読み、これが何とヒロインの名前です。敵にも「一方通行」と書いて「アクセラレーター」と読ませるキャラクターがいたりと、特殊な名前が多く出てきます。

声優・歌手の水樹奈々による楽曲の歌詞は、「奈々語」と呼ばれる独特の当て字表現で知られています。
例えば、「年表(うんめい)なんて空欄だらけ」や「日常(あたりまえ)はいつも側にあるわけじゃないから」などのように、本来の漢字の読み方とは異なる連想的の読み方をしているというものです。

他にも「信長協奏曲(のぶながコンツェルト)」、「獅子歌歌(ししソンソン)」、「刻蹄桜吹雪(こくていロゼオミチエーリ)」、「伸縮自在の愛(バンジーガム)」、「神の左手悪魔の右手 (ギャラリーフェイク)」など、日本のマンガには、この手の言葉遊び的な表現が数多くあり、今や当たり前のように使用されています。
漢字によって複数の意味を担わせ、音のカッコ良さや響きの良さも兼ね備えさせるという、言語学的に見ると、かなり高度なことを行っているにも関わらず、日本人はこの複雑な表現を小学生でも理解できてしまうわけですから、よく考えてみると凄いことです(逆にマンガによってそうした能力が鍛えられているとも言えるかもしれません)。
表意文字と表音文字、音読みと訓読み、外国語の翻訳から、かなり離れた強引な連想ゲームや頓智のようなものまで含め、自由度が高過ぎる言葉遊びが展開されるのが、日本のマンガの特徴となっており、海外輸出時のローカライズだけではなく、音のみに表現しなくてはならないアニメ化の際にも、これらは苦労させられる難題となっています。

人名制限のゆるい日本の戸籍制度
海外では法律で人名に制限を設けている国も珍しくなく、苗字と混同しやすいものとか、人名ではない単語など、申請が却下されることもあるそうで、日本程の命名の自由度がないことがあるようなのです。
日本でも、1993年に起きた「悪魔ちゃん命名騒動」のように、裁判沙汰にまでなることもありましたが、基本的には、漢字の使用制限(人名用漢字と常用漢字のみ)と、判読及び発音可能なもの、家族内で同姓同名になるなどの不便や識別困難が発生するような名前以外には文字数なども含めて制約がなく、何でもありなのです。
出生届には「読み方」の記載項目があるものの、戸籍には読み方は記載されず、ルール上、どんな読み方でも可能となっているため、いわゆる「キラキラネーム」と呼ばれるものが認められており、実際に大正時代からこうした珍奇名が存在し続けてきました(これについては改正戸籍法が2024年度中に施行されるので、今後は事情が変わります※2)。

つまり、日本人には独特の命名文化があり、およそ人名とは思われないものでも、人名として認識できる許容範囲の広さを持っているわけです。
このため、米津玄師(本名)や土屋太鳳(本名)、横浜流星(本名)などのような珍しい名前の他、ペンネームや号、芸名などでも、画狂老人卍江戸川乱歩阿久悠武論尊ゆでたまご大暮維人吾峠呼世晴(ごとうげこよはる)、芥見下々(あきたみげげ)、あfろ冲方丁(うぶかたとう)、日日日(あきら)、雨穴(うけつ)、バカリズムカズレーザーヒコロヒー劇団ひとりきゃりーぱみゅぱみゅコロッケイルカあののん、等々、駄洒落や当て字、人名とは思われないもものなど、挙げればキリがない程です。

海外(主にアメリカ)でのペンネームや芸名の例を見てみると、エミネムスティングレディー・ガガといった例外はあるものの、
ルイス・キャロル(本名:チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン)
マーク・トウェイン(本名:サミュエル・ラングホーン・クレメンズ)
マリリン・モンロー(本名:ノーマ・ジーン・モーテンソン)
フレディ・マーキュリー(本名:ファルーク・バルサラ)
エルトン・ジョン(本名:レジナルド・ケネス・ドワイト)
カーク・ダグラス(本名:イスール・ダニエロヴィッチ・デムスキー)
マイケル・ケイン(本名:モーリス・ジョゼフ・ミックルホワイト)
ナタリー・ポートマン(本名:ニタ=リー・ハーシュラグ)
ジェイミー・フォックス(本名:エリック・マーロン・ビショップ)
ヴィン・ディーゼル(本名:マーク・シンクレア・ヴィンセント)
ジャック・カービー(本名:ジェイコブ・カーツバーグ)
ジム・リー(本名:イ・ヨンチョル)
などのように、民族色の濃い名前から一般的で覚えやすく親しみやすい人名に変えたり、イメージに合う響きの名前に変更するというものが多く、あくまで人名と認識できる範囲となっているケースが多いようです。

『葬送のフリーレン』をはじめ、日本人作家が安易に外国語単語を人名にしてしまう背景には、前回取り上げたような異世界を舞台にした作品の登場人物には和名は合わないことや、カタカナ語や外来語好きという面の他に、音訓読みがあって自由度や許容性が高い日本語の特性や、日本人特有の人名に関する許容性の広さというものも、大きな要因となっているのではと考えられます。

〈了〉


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※1 『ドカベン』では、岩鬼正美、殿馬一人、里中智、微笑三太郎といった個性的な名前のキャラクターばかりの中で、主人公だけが唯一、山田太郎という平凡な名前となっています。
これは、家は貧しく容姿もかっこ良くない平凡な男が、作中最強とも言うべき圧倒的な強者であるという構図を作り上げるために、その平凡さの象徴のようにわざと山田太郎という名前が付けられているのです。

※2 公的記録のデジタル化に際し、人名の読み仮名に法的根拠がないことや、記録内での読み仮名の不統一を是正することで、システム処理の利便性を向上させることを目的に、2023年6月に改正戸籍法が成立しました。
この改正法では、戸籍に読み仮名の記載が義務付けられると共に、読み仮名に一定の基準(一般に認められる読み方であること)が設けられ、2024年度には施行される予定となっています。
とは言っても、キラキラネームの全てが却下されるというものではなく、まずは、漢字の反対の意味(「高」と書いて「ひくし」と読ませるなど)や、読み違いか判読できないもの(「一郎」と書いて「じろう」と読ませるなど)、漢字の意味や読み方から連想ができないもの(あまりにもかけ離れたものはダメということでしょう)などを規制する方向で、ある程度はこれまでの日本の命名文化を許容する運用となるようです。