練馬区のポテンシャル=サブカル系資産をまとめてみた件 前編

筆者の住む練馬区は、アニメやマンガに縁が深く、その地元資産とも言うべきコンテンツとの関係性がたくさん存在します。
ところが、アニメ・マンガのファンたちにとっては周知のことでも、当の区民はそのことを知らないということが多く、同じ区民の方と話をする機会がある度にあれこれと喧伝しているのですが、その度に誰もが一様に驚いてくれるので、ウケが良い話題=コミュニケーションツールとしても活用させてもらっています。
そこで今回は、区内外へのアピールも兼ねて、筆者の地元である練馬区に存在するアニメやマンガなどに関わるサブカル系の地元資産について、まとめてみたいと思います。

虫プロの社屋が現存。日本のテレビアニメは練馬で生まれた
手塚治虫が自宅新居を建設し、同敷地内にアニメ制作会社である虫プロダクションを作り、1963年放送開始の日本初の1話30分の連続TVアニメ『鉄腕アトム』をはじめ、数多くのアニメ作品を制作。
虫プロの社屋は現在も練馬区富士見台に存在していますが、使用されていないようで、廃墟同然となっています。
ちなみに2023年は、『鉄腕アトム』放送60周年にあたります。

『ブラック・ジャック』は練馬で生まれた
手塚治虫がマンガの制作・管理のための別会社として作った手塚プロダクションは、現在は高田馬場に移転していますが、設立当初は富士見台本町通り商店のビルの2・3階を借りており、このビルは現存しています。
ちょうど『ブラック・ジャック』を描き始めた時期にあたり、作中に登場する店のモデルで、当時は手塚治虫も良く食べに来ていた中華料理屋が、同商店街で今も営業しています。
ちなみに2023年は、『ブラック・ジャック』連載50周年にあたります。

『ONE PIECE』『ドラゴンボール』『プリキュア』は練馬で作られている
日本のアニメ制作会社の最大手の一つである東映アニメーションは、練馬区で誕生し(現在の本社は中野区)、現在も制作スタジオは練馬区に存在しており、『ONE PIECE』『ドラゴンボール』『プリキュア』を始め、数多くの人気作品を生み出しています。

『宇宙戦艦ヤマト』は練馬生まれ
1974年放送のテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』を作っていたオフィスアカデミーのスタジオは、練馬区の豊玉北にありました。
2009年公開の劇場版アニメ『宇宙戦艦ヤマト 復活編』も、区内に新設された「ヤマト・スタジオ」で制作されました。
ちなみに『宇宙戦艦ヤマト』は来年で放送50周年を迎えます。

『ガンダム』の生みの親たちも練馬にいた
『機動戦士ガンダム』を生み出した富野由悠季監督や、キャラクターデザインを担当した安彦良和は、練馬の虫プロで働いていました。
富野由悠季は練馬区にある日大芸術学部を卒業後、虫プロに入社して『鉄腕アトム』で脚本・演出を担当していました。安彦良和も虫プロに入社してアニメーターとなり、『新ムーミン』などで原画を担当していました。
後に富野由悠季は江東区、次いで埼玉県新座市に転居し、安彦良和は埼玉県所沢市に転居しましたが、虫プロ時代の2人は、ともに練馬区内に住んでいたのです。

『マクロス』は練馬生まれ
1982年放送の『超時空要塞マクロス』から始まるマクロシリーズは、40年以上も続く現在も人気の作品ですが、その企画・原案はスタジオぬえに所属していた、当時まだ慶應義塾大学工学部の学生だったメカデザイナーの河森正治が中心になって制作したものでした。
スタジオぬえは練馬区の下石神井に現在もあり、当時は『さすがの猿飛』の作者であるマンガ家・細野不二彦や、複数のイラストレーター、脚本家、小説家、マンガ家、デザイナーたちが所属しており、『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』など様々なロボット・メカ・SFアニメ作品に携わっていました。

石ノ森章太郎と松本零士は練馬区民だった
『仮面ライダー』や『サイボーグ009』の生みの親であるマンガ家・石ノ森章太郎(宮城県出身)と、『銀河鉄道999』や『宇宙海賊キャプテンハーロック』を生んだ松本零士(福岡県出身)は共に練馬区民で、現在はお亡くなりになったものの、ご自宅は今も区内にあります。
実はこの2人は1938年1月25日という全く同じ日に生まれており、2人とも手塚治虫のマンガ『新宝島』を読んでマンガ家を志し、同じマンガ雑誌「漫画少年」でデビューをしています。
手塚治虫と石ノ森章太郎と松本零士の3人は、マンガ家でありながらアニメ志向が強く、互いに「日本三大アニメマニアだ」と言い合っていたそうですから、その3人が揃って練馬に居を構えていたというのは、何か運命的な繋がりに導かれてこの地に集ったかのような奇跡的なものを感じさせてくれます。

練馬は有名作品の舞台地となっている
『ドラえもん』でのび太たちが住む町は練馬区
『ど根性ガエル』でぴょん吉がヒロシのシャツに張り付いたのは練馬区の石神井公園
『タッチ』の上杉家、浅倉家があるのは練馬区(原作マンガには練馬駅周辺が描かれています)
『うる星やつら』『らんま1/2』の舞台も練馬区
『頭文字D』の藤原豆腐店のモデルは練馬区内になる豆腐屋(閉店済みですが建物も看板も現存)
これらはほんの一部に過ぎず、この他にも数々の作品で練馬区は舞台設定地となっており、作中に区内各所が描かれています。

少女マンガ版トキワ荘「大泉サロン」が練馬にあった
練馬区の南大泉にはかつて、マンガ家の竹宮惠子(『風と木の詩』『地球へ…』)と萩尾望都(『ポーの一族』『11人いる!』)が同居を始めたことをきっかけに、山田ミネコ、ささやななえこ、伊東愛子、佐藤史生、奈知未佐子、坂田靖子、花郁悠紀子、波津彬子、たらさわみち、城章子といった後に「花の24年組」と呼ばれ、少女マンガ界をリードした当時の若手女性マンガ家たちが集う場となった借家がありました。
誰が名付けたのか、いつしか「大泉サロン」と呼ばれ、多くの編集者、マンガ志望の女の子やファンたちが出入りしていたとのことで、わずか2年間で解散してしまったものの、「少女マンガ版トキワ荘」とも称されています。

練馬にはマンガ・アニメ業界人が集う有名な喫茶店があった
練馬区の江古田にはかつて、アニメビデオ上映やセル画の販売、アニメ関連の資料やポスター、同人誌などの展示も行う「まんが画廊」という喫茶店があり、ゆうきまさみ、しげの修一、永野護(メカデザイナー)、川村万梨阿(声優)をはじめ、マンガ家やアニメ雑誌の編集者、アニメーターなどのマンガ・アニメ業界人が常連客となっており、マンガ家やアニメーター志望の若者やファンたちも出入りしていました。
こちらも手塚治虫たちに比べてかなり新しい世代の人たちが集った、トキワ荘的な存在として知られています。

練馬には有名作品を作るアニメ制作会社がいくつもある
『ONE PIECE』『ドラゴンボール』『プリキュア』を制作している東映アニメーション 大泉スタジオをはじめ、『推しの子』『ちいかわ』などを作る動画工房、『暗殺教室』『ギブン』のスタジオ雲雀、『魔法少女リリカルなのは』のセブン・アークス、『侵略!イカ娘』『艦これ』のディオメディアなど、数々の有名アニメ制作会社が現在も存在しています。

以上のように、練馬はアニメやマンガにとても縁が深い地域であることがわかります。
次回も引き続き、練馬のサブカル系資産を紹介したいと思います。


神籬では、これらの地元資産の存在を喧伝していき、活用したいと名乗りを上げるような地域に対しては、情報の提供なども含め、その活用に関して協力していきたいと考えています。
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