東洋経済「アニメ熱狂のカラクリ」号の記事について考えてみた件 ④ アニメーター賃金問題 前編

業界内外で話題の「アニメ熱狂のカラクリ」と題した「週刊東洋経済」5/27号では、「アニメーター賃金に異変」と題し、氷河期から二極化へと変化が生じていると綴っています。

昭和の時代から取り上げられながら、長い間変化が見られなかったアニメーターの「ブラック労働」問題が、この令和の時代となって俄かに変化が起こっているというわけです。
「週刊東洋経済」では、原画の1カット当たりの出来高単価が10年前に比べて2割程度上がっており、一握りの優秀なフリーのアニメーターに対してだけに行われていた「拘束費」と呼ばれる上乗せ料金を払って専属で仕事をしてもらう慣行が、常態化して多くのアニメーターに対して行われるようになったというのです。
さらに、各制作会社が腕のあるアニメーターを確保するため、「拘束費」の相場も上がっており、大手制作会社を中心に正社員化の動きも加速しているため、全体としてアニメーターの平均年収が上がっているとのことです。
ところが、この賃上げの流れに育成に時間のかかる若手アニメーターが取り残され、リモート制作の普及などの制作環境の変化もあって、若手が技術向上を図れず、結果的にいつまでも賃上げの対象にならず、その恩恵に与れない状況が生まれており、これをもって二極化が起きているというのです。

「週刊東洋経済」では、この二極化は近年起きてきている変化のように書かれていますが、実はアニメ業界では、昔か存在し続けている状況です。

優秀なアニメーターを囲うために高い報酬を支払うのは当たり前で、若手やあまり優秀ではないアニメーターは報酬が少ないのは、昭和の時代から変わりません。
古い話ですと、手塚治虫が作ったアニメ制作会社・虫プロダクションの社員は高給で雇われていて、特に虫プロ立ち上げの際には、東映動画などから優秀なアニメーターを引き抜くために、社員の言い値で払っていたとまで言われています。
実際に、自家用車を持てる家庭がまだ少なかった当時、虫プロ社員の多くが自家用車を持ち、虫プロの駐車場には社員の車がずらっと並んでいたそうですから、いかに虫プロ社員の給料が高かったかがわかります(その代わり、徹夜続きで労働自体は過酷だったようですが)。
一方の東映動画では、1960年代から長い間労働組合が会社に対して給与や労働環境などの改善を求めて闘争を繰り返してきた歴史がありますから、会社の体制などによって、当時から給与や待遇に格差があったことが窺えます。

さらに、昭和後期から平成の時代、深夜アニメと呼ばれる青年向けアニメの大流行や、玩具や菓子といったものから、DVDやフィギュアなどへとアニメビジネスの主流が変化し、アニメ市場が拡大し始めると、アニメーターを養成専門学校なども出来始め、アニメーター人口も急増します。
その頃からすでに、昭和期に現場で叩き上げられてきたような職人のようなプロアニメーターたちと、専門学校を卒業したアマチュアとプロの中間のようなフリーのアニメーターとの間では、給与などで各段の差が生じていて、いわゆる二極化が起きていたのです。

優秀なアニメーターなどはアニメ監督より年収が上でしたし、底辺のアニメーターたちは技術も伴わず、手も遅いので数もこなせられず。歩合制の賃金体系では長時間労働の上に発給という状況に甘んじねばならず、これがアニメーターの「ブラック労働」問題として報道などで取り上げられ、世間の知るところとなったわけです。
したがって、世間でアニメーターの「ブラック労働」問題が取り上げられている当時ですら、一般サラリーマンよりも高い給料をもらっていたアニメーターも少なくなく、アニメーターを一括りにして取り上げる報道は、やや的外れで本質をとらえきれていないものだったと言えるかもしれません。

「週刊東洋経済」では、その辺りを、若手アニメーターや、動画、第2原画、第1原画などのキャリアを取り上げて紐解いているあたり、これまでにない踏み込んだ取材の結果が窺えます。


次回に続く。

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