牧野富太郎の偉業から想起されるデータベースの大切さの件

現在、神木隆之介主演のNHK連続テレビ小説『らんまん』のモデルとなった植物学者・牧野富太郎(1862~1957)に注目が集まっています。

牧野富太郎が晩年を過ごし、縁が深い練馬区では、区内の各図書館で牧野富太郎コーナーが設けられていたり、区内各所の掲示板や施設などでも『らんまん』のポスターをよく見かけます。

練馬区在住の筆者も職場などで牧野富太郎のことを聞かれる機会がありましたが、その業績を説明するのがなかなか難しいのです。
簡単に語るなら、日本は世界的にも植物種が豊富ながら、当時は世界の植物学に遅れを取っていた状況で、40万点にも及ぶ植物標本を集め、1500以上もの植物に名前をつけ、日本植物分類学の基礎を築いた一人、といった感じでしょうか。
この説明は、学術分野の方には通じても、一般の方にはピンとこないようで、「名前をつけただけなの?」と拍子抜けとでもいうような感想を言われることもありました。
標本を作ったり、名前を付けることの何がすごいことなのかは一般的には理解し難いといったわけなのです。

似たような偉人に粘菌の研究で知られる南方熊楠(1867~1941年)という人物がいます。
こちらも植物学者で、没後50年にあたる1991年前後にクローズアップされて俄かに「南方熊楠ブーム」が起き、テレビでの特集番組や雑誌の特集やら関連本が本屋に平積みされるといった現象がありました。
以降も断続的に注目が集まる存在で、名前を聞いたことがある人も少なくないでしょう。
小学校中退の牧野富太郎と違い、大学を出て海外留学をした南方熊楠は、故郷和歌山の山中に籠って研究に打ち込み、その分野も菌類に留まらず、植物や昆虫、小動物など生物学から民俗学まで多岐に及び、いわゆる広義における博物学というものでした。
科学雑誌「ネイチャー」に投稿した民俗学の論文が数多く掲載されるも(日本人の論文掲載数最高記録)、植物学(生物学)の分野では新種の発表や命名、図録の出版、正式な論文の発表などをほとんどしなかったため、市井の学者に過ぎない存在と思われ、近年に至るまで一般にその業績が知られることなく埋もれていました。

牧野富太郎の方は、故郷である高知から上京し、東京大学に押し掛けて植物学教室に出入りを許され、この最高学府で研究を進めて『日本植物志図篇』などの図鑑を出版。新種の植物を発表して功績を上げたことで、当時から世間でも有名な学者となっていました。
研究に湯水の如く金を使ってできた多額の借金により、家財の差し押さえの危機に陥ると、新聞に借金を公表して支援者を募り、篤志家に標本を買い上げてもらった上、研究費用まで出してもらっていました。
さらに、各地で開いた植物採集会で多くの植物愛好家たちと交流し、この愛好家たちが富太郎の標本採集に協力して全国各地から標本を送っていました。

南方熊楠も牧野富太郎も尋常ならざる研究中毒のようなオタク的性格は同じながら、一方は世間の評価は二の次で独り山に籠ってひたすら研究といった感があり、もう一方は世間に自身の業績を認めさせようという野心家でもあり、いろんな人の支援を受けて研究を続けていた社交性の高いオタクだったわけです。
もっと簡単に言うと、内向きなオタクか外向きなオタクかと言ったところでしょうか。

牧野富太郎の野心は、何も世間の評価を求めることが主ではなく、日本中の植物を採集して誰も成し得なかった完全な日本植物図鑑を作り、日本の植物のすばらしさを世界に知らしめたいという夢を叶えるところにありました。
当時の図鑑の意味というのは、単なる書籍というものではなく、現在で言うところのデータベースに当たります。

新しい技術を生むためには科学の基礎研究が必須であるように、学問を発展させるためにはデータの蓄積が必須です。
膨大な量のデータを収集・分析して分類し、類似する種との比較をしていかないと、研究対象が既存の種に類するものか、新種なのかもわからないし、どの種から分岐して何でその形になったのか、といったようなことが何もわからないままで研究が進まないのです。

また、そのデータも個人で収集して貯め込むだけでは、個人の研究の範囲を超えません。
図鑑として出版し、誰もがそのデータにアクセスできるようにすることで、そのデータは皆が共有する「社会知」となり、研究の幅や質は各段に向上します。
現在で言えば、ネット上で検索して閲覧できるデータベースを一般公開するということになるでしょう。

前回のコラムで「メディア芸術データベース」を取り上げましたが、その実態や結果はどうあれ、目指すところは同じく「社会知」にあると思われます。
アニメのデータベースに関して言えば、文化庁の「メディア芸術データベース」も、一般社団法人日本動画協会の「アニメ大全」もどちらかと言えば目録に近いもので、各作品のデータ内容がもっと充実してこないと、現状ではまだ研究に活用していくことが難しいのではないかとの印象を受けます。

日本のアニメの歴史は、国産アニメーション映画第1号といわれる1917年公開の『凸坊新畫帖 芋助猪狩の巻』を起源とするならば、すでに100年以上の歴史がありますが、長く子供の娯楽に過ぎないという価値観から学術研究の対象とされてきませんでした。
映画の評論家や研究書籍に比べても、アニメ作品を専門とする評論家や研究書籍は各段に少なく、研究、評論、評価基準などの全てにおいてアニメはいまだに未成熟のままです。

研究、評論、評価基準といったものは、何も学術業界だけに帰するものではなく、後のクリエイターたちの作品作りに貢献したり、クリエイターたちへの評価を上げたり、ヒットの法則を導き出したり、さらには視聴者にとっては、良い作品に巡り合える機会や精度を上げたりといった具合に、アニメに関わる多くの人たちに恩恵をもたらします。
今後のアニメ研究の発展のため、上述のような既存のアニメデータベース、あるいは全く新規のデータベースが生まれて整備が進んでいってくれることを切に願います。

神籬でもアニメ作品や声優などの全網羅的なデータベースを作成しておりますので、今後のアニメ研究の発展に協力できたらと考えております。
ご興味がありましたら、是非問い合わせフォームからご連絡下さい。
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