番外編:商店街活性化の好事例 ② 大須商店街

愛知県名古屋市中区大須2~3丁目にある「大須商店街」は、3本の東西約600mの通りと、2本の南北約400mの通りから成る商店街です。
第二次世界大戦後の復興期に大須の数々の商店が寄り集まって生まれた商業エリアで、名古屋市内随一の繁華街でした。映画全盛期には映画館が14館にも及ぶ歓楽街としても賑わっていたといいます。
ところが、都市計画によって、大須の北側に位置する栄地区との間に100m道路(若宮大通)ができたことで、栄からの人流が減少し始めたのです。
さらに、地下鉄の開通により古屋駅や栄に地下街ができたことに加え、名古屋駅方面から大須を繋いでいた路面電車が廃止されると、ますます人が遠のきます。
また、テレビの普及で映画館需要が衰退していったことや、車の普及に対応できなかったことも敗因と言えるでしょう。
1960年代には、名古屋駅や栄の百貨店や地下街の発展の裏で、大須商店街はシャッター商店街と化してしまったのです。

そんなシャッター商店街と化した大須商店街が変わるきっかけは、1975年から開催されたイベント「アクション大須」でした。
衰退を憂いた商店街の若手商店主たちが、名城大学の学生らに協力を得て始めたもので、これが商店街再生の起爆剤になったと言われています。
「アクション大須」では、商店街全体を会場に、名城大学の学生を中心とした若者たちのアイデアと工夫による盛り沢山なプログラムが、訪れた客たちをもてなしました。
大道芸をはじめ、路上ライブ、ファションショー、寄席、寸劇、お化け屋敷、路上喫茶の他、車社会を皮肉った辻駕籠や竹馬などもある学園祭のようなノリのイベントです。
商店街の各店もバーゲンセールや風船、金魚のプレゼントなどのサービスでイベントに協力したこともあり、かつての賑わいを取り戻したかのような盛況ぶりで、ピーク時には10万人の人出があったと言います。
このイベントの大盛況に刺激を受けた若手商店主たちが、第二回アクション大須を開催し、大須大道町人祭へと姿を変えて受け継がれていきます。
周辺環境や商店街内にも変化があって追い風となっていきました。
まずは、1977年に地下鉄鶴舞線が開通して大須観音駅ができたことで、交通面での不利が解消されます。
さらに、商店街に新たな商業ビル「ラジオセンターアメ横ビル(現・第一アメ横ビル)」が建設されました。ここへ東京の秋葉原から家電店やパソコンショップなどを招致すると、電気パーツなどを求める若い客が流入しはじめ、これに呼応するかのようにアメ横ビル周辺に電器店やパソコンショップが増えていきます。
この結果、大須商店街は、秋葉原、大阪日本橋に次ぐ「日本三大電気街」の一つに数えられるまでに発展していったのです。
その後、秋葉原と同じく、電気街に集まるオタクたちをターゲットにしたメイド喫茶、フィギュアの店、カードゲームの店なども出来るようになり、電気街からオタク街としての特色を濃くしていきます。
この事例では、集客自体よりも、イベントが成功体験となって商店街の若手商店主たちのやる気に火が付いたことが重要なようです。
今年で43回目の開催となる大須大道町人祭は、今や約30万人を動員する一大イベントとなっていますが、この他に、おいらん道中、山車曳き、子供神輿、氷の彫刻コンクール、プロレス興行、eスポーツ大会、うなぎ&どじょうのつかみどり大会、キッズ仮装パレード、世界コスプレサミットのパレード、春祭りに夏祭り、月に2回の縁日など、年間を通して絶えず何かしらのイベントが行われており、客足を途絶えさせないように商店街が精力的に活動をしているのです。

かつては日中に通りでキャッチボールができたと言う程に閑散としていた商店街が、現在では空き店舗がほとんどなく、1,300ほどの店や施設が営業する活気ある商店街へと見事に復活を遂げています。
土日で約7万人、平日でも約3万人が行き交うという発展ぶりを見せているこの大須商店街ですが、特徴の一つとして、店の循環が早いことが挙げられるとのこと。
大須商店街が持つ、呉服屋や衣料品店がメインだった時代から電気街に、さらにはオタク街へと変化していくスピードや対応力は、大須の土地柄に要因があるようなのです。
大須は、名古屋城築城に伴い、徳川家康の命で岐阜羽島から大須観音が移転してきたことがきっかけで門前町として発展した歴史があります。
江戸時代から芝居・見せ物小屋や遊郭などがひしめく盛り場で、「尾張名古屋」の文化・芸能の中心地だったのです。
盛り場で客をもてなし、飽きさせないためには、排他的ではダメですから、常に開放的で変化や新参者に対する抵抗が低い風土が形成されていったというわけです。
現在では年間7~8%の店舗が新しい店に替わるそうで、新店舗がチェレンジしてダメならすぐに次へと変わるという入れ替わりが、商店街に耐えず変化の風を吹き込む効果を与えているというのです。
これには、商店街の店舗を取り仕切り、通りごとに異なる坪単価や規約、条件などを全て把握している老舗の不動産屋がいて、出店希望者に適切な物件を案内できることが大きく貢献しているそうで、大須商店街の発展の陰の立役者ともなっているとのこと。
過去の苦い経験から、足を止めることが衰退に繋がることを身に染みて知っているため、おもしろうそうなものは何でも受け入れて吸収し、絶えず動き続け、変化し続けることを信条としていることが、成功の要因というわけです。
少し前までは「オタク街」という呼称で知られていましたが、現在ではそれだけに留まらず、老若男女を問わない幅広い客層に向けた、アンダーグラウンドなものからメジャーなものまで様々な文化が入り混じる多彩な商店街となっており、「ごった煮のまち」とも表現されています。
神籬では、商店街の活性化への取り組みなどのご相談を受け付けています。
当該商店街の状況や特質などを聴き取りさせていただき、他地域における成功事例を踏まえた上でのアドバイザーから、他に事例がないような新たな企画、地元の特性に合わせた施策の提案、実施サポートまで幅広くお手伝いさせていただきます。
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