打切アニメ列伝⑭ 第2のガンダムを期待された『伝説巨神イデオン』後編

アニメの解説書

前回は打ち切りとなったテレビアニメについて取り上げましたが、今回はテレビアニメ終了後に制作された劇場版に焦点を当てます。

『伝説巨神イデオン』は、スポンサーの期待するものや、アニメファンが期待する『機動戦士ガンダム』のような作品ではなかったものの、富野由悠季監督が心中覚悟で作り上げただけあって、見る者に、エンターテインメントとは言えない強烈な不快感と共にとてつもない衝撃やインパクトを与えた作品となり、一般的で多数派の支持は得られなかったものの、そこに何かを感じ取ったコアなファンからの絶大な支持を得ることには成功しました。
スタッフたちもこの作品である意味振り切ったことをしてのけたという思いがあって、この作品にかけるスタッフの熱意もただならぬものがあったようです。
そうした熱狂的なファンの支持とスタッフの熱意に後押しされる形で、日本サンライズ主導で劇場版2作品が製作されることになります。

テレビ版の放送終了の翌年である1982年7月に、テレビ版を編集した『THE IDEON 接触篇 THE IDEON; A CONTACT』と、テレビ版第38~39話から、新たに描き直された物語の完結作『THE IDEON 発動篇 THE IDEON; Be INVOKED』が併映の形で同時公開されました。

劇場版では、スポンサーやテレビ局などの制約がなくなったおかげで、女子供が酷い殺され方をする残酷なシーンや、ラストで全てを脱ぎ捨てた登場人物たちが全裸で宇宙を駆け巡るシーンなどやりたい放題で、スタッフが描きたいものをやり切った感満載の作品となっています。

元々テレビ版の時点で一般向けではない内容となっていたこともあって、映画自体は商業的な成功には至らなかったものの、そのテーマのスケール感は、『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』を遥かに凌ぐものであり、神や生命を描いたアニメ史上における、ある一角の到達領域に至った限界点であったと解釈できます。
一般の評価に比べ、業界内外の演出家や作家、アニメ評論家たちからの評価は高く、富野作品の最高傑作と評する人も多い程で、ある限界点の基準ともなる作品として歴史に刻まれたことは間違いありません。
『伝説巨神イデオン』以降は、ある一方向の限界点として、イデオンを超えているかどうか、というアニメ作品における新たな基準生まれたと言っても過言ではないでしょう。

テレビ版を補完する完全版として描かれた『THE IDEON 発動篇 THE IDEON; Be INVOKED』は、テレビ版との関係性やラストに挿入される実写映像を含めて『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Airまごころを、君に』と非常によく似ています。
ある意味で、庵野秀明監督がこのイデオンに挑んだ作品、あるいは、庵野監督によるイデオンに対するアンサー作品であったとも解釈できるのではないでしょうか。

ちなみに、作中で謎の存在として描かれる謎の力「イデ」の元ネタは、富野監督が公言している通り、『禁断の惑星』※であり、「イデ」とは何かというのも、作品ファンの間では話題になることの多いテーマです。
テレビ版から発動篇までを通したイデオンの物語は、神や生命について、その名称や具体的な姿を使わずに描いた作品としては、スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』やリドリー・スコット監督の『ブレードランナー』といったSF映画の名作に匹敵する程のスケール感を持った作品です。
時代にとらわれず色褪せない普遍的価値観や壮大なテーマを描いていることから、40年以上経った今見ても時代的な齟齬が発生しておらず、現在の若者が見ても、その心に響きや重要な問いかけを与え得る稀有な作品となっています。


※『禁断の惑星』1956年公開のアメリカのSF映画。地球人類が宇宙移民を始めた2200年代を舞台に、移民団が消息不明となった惑星アルテア4にやって来た捜索隊が、生き残ったモービアス博士と彼の娘、そして博士が開発したロボットのロビーと遭遇。かつてアルテア4に住んでいた先住民族クレール人を滅ぼしたという謎の怪物の驚異を伝え、惑星を離れるように忠告する博士に、捜索隊を率いるアダムス機長は、恋仲となった博士の娘だけでも連れて逃げようとするというストーリーで、この「イドの怪物」は博士の潜在意識を増幅して具現化するクレール人の装置から生み出されたもので、クレール人も自分たちの潜在意識を制御し切れずに自滅したという設定となっていました。