アニメの解説書『電脳コイル』③ 説明ゼリフを使わない

『電脳コイル』は多くを語りたがりません。

作品の世界観や細かい設定にこだわるタイプの作家は、自分の作品内で設定を語りたいという欲求に勝てず、説明過多になってしまうことが往々にしてあります。
士郎正宗の『攻殻機動隊』や冨樫義博の『HUNTER×HUNTER』のように、それが様式美やお約束のような形で面白さとして昇華する稀有なパターンもありますが、通常は、不自然な解説キャラを登場させたり、場面を一時中断して説明に終始したりします。それは、早くアトラクションを楽しみたい子供を静止して、事前の注意事項を伝える大人のようなもので、演出的には稚拙な所業です。

たとえば、ゲームバトル作品などであれば、まずはルールなどを全く知らない主人公という設定にして、第1話で、そのゲームがないような場所から転校してきた主人公に、友達になった親切な人=ルール説明キャラが、一から十まで丁寧に世界観やルールをしてあげるという形で、視聴者へルール説明を行うわけです。
普通はこのように言葉で全部説明する形をとるのが通常パターンです。

ところが、『電脳コイル』の場合は、わざわざ説明ゼリフを用意しません。
デンスケが実在する犬ではなく、電脳ペットであることは、電車内でバックが体をすり抜けたり、体の一部が表示バグを起こしたり、メガネを外すと見えないといったように、絵(作画)によって表現しています。
ガジェットの説明はもちろん、人間関係などもわざわざ説明ゼリフを用いず、初登場の数分足らずのやり取りだけで、フミエとダイチが電脳世界の探偵稼業をしていてライバル関係にあること、メタという通貨があることなどが理解できる仕組みになっており、第1話開始10分弱で、作品の世界観の大略を不自然な解説キャラを用いず、自然な流れの中で視聴者に刷り込ませる演出がされています。
まあ、そこからは、基本的な電脳知識しかないヤサコが、電脳インフラ整備が進んでいる大国市では常識となっているディープな電脳空間の情報をフミエたちに教えてもらう構図になっていくわけですが、そこでもやっぱり説明のためにシーンを用意するという形ではなく、物語の流れの中で必然的に説明が入って来る形を取っています。

こうした架空の技術やガジェットを描く場合、描く側が、ここまで細かく設定してあるんだぞ、という思いを、我慢できずに過度に説明してしまったり、逆に説明しないと視聴者にわかり難いなどと余計な配慮を進言するスタッフに負けて説明ゼリフを追加したりしてしまうケースがよく見られるのですが、そうした場合、説明だけのための不要なシーンを追加したり、説明のために流れが寸断されたり、もたついたりといった演出面から見た残念な結果、つまり、面白くないものになってしまうのです。
そういうのをクリエイティブな世界では、「無粋」とか「野暮」などと言うのですが、その点で、『電脳コイル』は実に「粋」で「オシャレ」な作品であると言えます。

余談ですが、アニメやマンガにおいて、状況や物事の説明をセリフや文章によって行うことは、作り手目線で言うと、負けと捉える向きもあります。
もちろん、演出手段としてのモノローグや『新世紀エヴァンゲリオン』での明朝体の文字など、演出表現の一つとして用いられるケースもあるのですが、そういう表現や演出手段であるものを除いて、説明ゼリフや文章を使うのは最終手段であって、絵で説明できない、説明しなくてもわかるような絵を描けないから使ってしまう、という考えから、絵を描くことを諦めたと捉える価値観があるからです。
アニメーターの究極系は、絵だけで全てを表現することにあるので、絵で描けないというのは、いわば白旗を上げて降参することになるわけですので、職業人としての敗北です。
そういう観点から、説明ゼリフを入れてしまえば楽なところを、敢えて説明ゼリフを用いずに絵や動きだけで表現してしまうことを「粋」だと表現して称賛するわけです。

『電脳コイル』では、電脳メガネの機能の一つとして、親指と小指だけを立てた手を耳の近くに持っていく電話のジェスチャーだけで相手と通話が可能になる設定があります。
これが最初に登場したのは、第1話で京子を連れて大国市にやって来たヤサコが、迎えに行けないから2人だけで引っ越し先へ向かうように言う母親と話すハンバーガー屋のシーンですが、この時、まずは駅前風景の画面に話し声だけで電話していると視聴者に認識させた上で、店内のカットになると、実は電話機ではなく、上述のジェスチャーで通話をしている画面になり、自然な流れでこの方法によって電話ができるんだと理解させる演出となっています。
同じ画面内には、補足となるような店内のアンテナピクト(電波強度表示)に「受信状態 普通」の文字を表示させていますが、これ以降には、店内シーンがないためもあって作中では出て来ることがなく、最後まで一度も「このジャスチャーで電話ができるんだよ」といった説明ゼリフを使わないまま、頻繁に通話シーンが描かれています。

ちなみにこのハンバーガー屋のシーンでは、中盤以降に登場する重要キャラクターのオバちゃんや猫目兄弟が店内にいるのですが、気づいたでしょうか。