アニメ制作会社の生存戦略 番外編 スタジオジブリその② 特性
前回、スタジオジブリの創設までの経緯を語りましたが、今回は、スタジオジブリの特性について取り上げます。
スタジオジブリの特性
スタジオジブリは、『風の谷のナウシカ』に起因して、宮崎駿と高畑勲によるアニメ映画作品を作るために創設され、一貫して監督中心主義で運営されている特殊な制作会社です。
宮崎駿と高畑勲に作品を作らせるため、鈴木敏夫プロデューサーが2人をコントロールしつつ、資金を集め、宣伝をするという会社であり、所属するアニメーターや関連事業に従事する社員たちは、そんな3人の映画作りをするための戦力という構図となっています。
会社というよりは、宮崎駿と高畑勲の個人スタジオといった方が良く、映画制作のために出来高制の給金でアニメーターを集め(フリーの人を雇ったり、他の制作会社から借りるなど)、映画が完成したら解散するというやり方で、映画が無事公開された後は、版権管理会社となって投じた制作費を回収するといったことを繰り返す、そんな制作会社です。
庵野秀明のカラー※や、細田守のスタジオ地図※など、一人の監督が自身の作品を作るために立ち上げたスタジオというものは他にもありますが、そういうものは大概、従業員も少なく小規模なものなので、300名程の従業員を抱えるスタジオジブリのような規模の個人スタジオは他に例がありません。
その後のスタジオジブリの経過をざっくり追ってみると、以下のような感じです。
1985年に創設されたスタジオジブリは、1997年にはスポンサーである徳間書店に吸収合併されて解散。徳間書店の社内カンパニーとなり、後に事業部化。
1989年の『魔女の宅急便』で興行的に大成功を遂げたことを機に、スタッフを常勤社員化し、研修制度を発足させて毎年定期的な新人採用を開始。
2005年には徳間書店からの分離・独立して2代目のスタジオジブリが誕生。
2013年の『風立ちぬ』公開後に宮崎駿が引退宣言をして2014年に制作部門のスタッフを全員解雇。
2017年に宮崎駿の引退撤回を受け、制作部門の活動を再開し、新人スタッフの募集を開始。
スタジオジブリのアニメーターは高給で知られています。
それは世間一般的な高給取りというよりは、アニメ業界において、他社の同じ技術レベルのアニメーターに比べて高いという意味の高給なのですが、さらに他のアニメ作品に比べて制作期間も長く、かける人数も多いので、単純に同規模の作品を作った場合で比べると、他社で制作するよりも倍近く制作コストが高くなってしまいます。
普通の制作会社の場合は、パワーバランス的に監督よりも製作の方が強いので、コストやスケジュールの管理でこれを調整して決められた範囲内で最高のパフォーマンスを発揮するということになるのですが、スタジオジブリの場合は、コスト度外視で宮崎駿が求めるクオリティを最優先にして制作し、かかってしまった制作費分だけ、回収する金額を増やすことで解決しようという発想で動くという、経営的観点から言うと明らかにビジネスの常道を逸したことをしているのです
スタジオジブリの常務取締役だった原徹は、これを3H(HIGH COST, HIGH RISK, HIGH RETURN)だと評していたそうです。
健全で安定した経営とは真逆の方針で運営しながら、それでも倒産というような事態に陥らなかったのは、宮崎駿=ジブリのブランディングや、海外販売・ライセンス事業などが余程に高収益を上げているからなのか、あるいはそのジブリブランドにお金を出してくれる企業などがいるおかげとも言えます。
スタジオジブリは、そのブランド力を維持するためにも、作品を作り続ける必要があり、作り続けるからこそ、過去のものとならずにファンを増やし続けられるし、お金も集められるという宿命を負っています。
そこで問題となるのは、今年で81歳となった宮崎駿が、あと何年、あと何作品の映画を作れるのか、ということで、宮崎駿が引退した後に、ジブリブランドを引き継げる後継者がいないことは、今後のジブリ継続の最大の課題となっています。
宮崎駿が本当に引退した場合、スタジオジブリの超高額な制作費を回収できる見込みはありませんので、制作を続けるのは自殺行為です。制作継続の選択肢は考えられない以上、制作会社ではなくなって、過去の作品のライセンスを原資に商売を継続する版権管理会社になるのでは、との見方が有力です。
※株式会社カラー:2006年設立。従業員数26名(FUMA企業情報より)
※株式会社地図(スタジオ地図):2011年設立。社員数10名程(2022年3月「すぎなみ学倶楽部記事」より)
アニメ制作会社の生存戦略
番外編 スタジオジブリその① 創設
番外編 スタジオジブリその② 特性
番外編 スタジオジブリその③ 経営状況