タツノコプロのことをふりかえってみた件 ⑱タツノコプロの遺伝子を受け継ぐ系譜
タツノコプロは、吉田竜夫社長の死後、スタッフの流出や独立で制作本数をかなり減らし、リメイクやリブート作品、実写映画化などが増えたことで、制作会社と言うよりも、過去作品の版権を活用した企画会社といった印象になっていきました。
近年のタツノコプロは、かつてのタツノコらしさみたいなものはあまり見られないものの、良くも悪くも、数ある制作会社の一つとして、オリジナル作品から原作付き作品まで幅広く手掛けると同時に、過去作品の版権でのビジネス展開も行っています。
オリジナル作品で言えば、2019年のタツノコプロ創立55周年記念作品であるロボットアニメ『エガオノダイカ』。
リメイク作品では、2020年に『ハクション大魔王2020』を制作。
2019年に創設された新レーベル「BAKKEN RECORD」とポニーキャニオンとの共同原作によるオリジナル作品で、ボウリングをテーマにした『Turkey!』が2025年に放送予定です。
こうした近年の作品は、かつてのタツノコプロ作品のリメイク、リブート作品などの他は、タツノコらしさ的なものはビジュアルではハッキリと見て取れないことから、余程のアニメファンでない限り、タツノコプロ作品だと認識せずに見ている人が多いのではないかと思われます。
タツノコプロの遺伝子を受け継ぐ系譜
現在のタツノコプロ自体は、前述通り、良くも悪くもいちアニメ制作会社としての立ち位置となっていますが、日本アニメの歴史上におけるタツノコプロの功績は、とんでもなく大きなものだと言えるでしょう。
それは、単に素晴らしい作品を生み出して、同時代の作家たちに影響を与えたということだけではなく、タツノコプロから多くのアニメ制作会社が派生していることにもあります。
それらのアニメ会社たちは、タツノコプロで学んだアニメ制作のイズムを受け継いでいるからです。
タツノコプロの演出家だった布川ゆうじが創設したぴえろと、ぴえろから派生したSeven Arcs、feel.。
タツノコプロの企画文芸部にいた宮田知行が創設したJ.C.STAFFと、J.C.STAFFから派生したZEXCSやSILVER LINK.といったアニメ制作会社は、遺伝子の濃淡はあるものの、系譜企業と言えるでしょう。
Production I.Gなどは、タツノコプロで制作デスクの一人だった石川光久が、フリーのプロデューサーとして1987年の『赤い光弾ジリオン』制作のために設立した「竜の子制作分室」が前身のアニメ制作会社です。
石川光久は、優秀なスタッフが次々に辞めていき、無難な作品ばかりを作ろうとする会社を見返そうと、実家の土地家屋を担保に借金をして製作費を捻出し、各所から優秀なスタッフを集めました。
経営陣に直談判して制作を認めさせた石川光久の手腕とスタッフの熱意により生み出されたこの『赤い光弾ジリオン』は、低予算ながら作品クオリティは高く、アニメ雑誌5誌による日本アニメ大賞のファン大賞では、作品賞、男性キャラクター賞、女性キャラクター賞を独占する程の人気ぶりでした。
『赤い光弾ジリオン』の放送終了後、この「竜の子制作分室」を解散させるのを惜しんだ石川光久が、タツノコプロから独立して1987年12月に設立したのが「有限会社アイジータツノコ」※1で、後に改名してProduction I.Gとなるのです。
このProduction I.Gからは、P.A.WORKS、WIT STUDIOやSIGNAL.MD、横浜アニメーションラボなどのアニメ制作会社が派生しています。
Production I.G は現在のタツノコプロ本社のすぐ傍に本社がありますし、WIT STUDIO、SILVER LINK.、さらにProdcution I.GのCGIスタジオなどは、タツノコプロ本社と同じビル内に入居している程で、その関係性の緊密さが伺えます。
このように、タツノコプロの遺伝子は受け継がれており、タツノコ(竜の子)が吉田竜夫の子だとすれば、竜の孫や曾孫とでも言うべき存在が系譜を保っているわけです。
しかし、吉田竜夫が夢見たもう一つの希望であるキャラクターの永続性については、まだ完全に果たされているとは言い難く、近年では、手塚治虫キャラと同様に、タツノコプロのキャラクターたちも、若い世代での認知度が低くなりつつあるのは否めない事実でしょう。
スタジオジブリでは、宮崎駿がいなくなった先を見越してなのか、ジブリパークという形で、吉田竜夫が夢見た形を実現しています。
手塚治虫にしても、故郷である宝塚市には手塚治虫記念館があり、充分とは言えないまでも、後世に引き継ぐための施設が存在してはいるのです。
タツノコプロのキャラクターたちが、後世にまで忘れられずに、新たな世代にも愛され続ける仕組みを作ることができるのか、今後のタツノコプロの取り組みに期待したいところです。
個人的には、やはり一時的なコラボ企画ではなく、恒久的に存在し続けるミュージアム的なものが望ましいと思われます。
現在本社がある三鷹には、すでに三鷹の森ジブリ美術館があるのでタツノコプロにまで手を出すとは思えません。
かつての地元である国分寺市は、東京都内の市区町村財政力指数ランキングで第8位(三鷹市は第6位)と、財政的には問題ないようにも思われます。
本社が移転したとは言え、国分寺市では、タツノコプロの吉田すずか(吉田竜夫の長女)がデザインしたイメージキャラクター「ぶんじほたるホッチ」を2012年から現在も使用しており、関係性も悪くはなさそうです。
もちろん、用地買収やら、企画を主導するマンパワーなど実現への課題は多いところでしょうが、是非ともタツノコプロのキャラクターのミュージアム、あるいはテーマパークを、「タツノコランド」の名前で実現して欲しいものです。
実は、かつて筆者は某タツノコプロ作品のサイト運営の仕事をしていたことがあり、2009年に国分寺駅南に移設されたばかりの本社オフィスを定期的に訪問していた時期がありました。
その当時からオフィスの壁には、吉田竜夫の写真(現在三鷹のタツノコプロのロビーに飾られてあるもの)が掲げられていたのを覚えています。
そのため、個人的な思い入れがないと言い難いところではありますが、純粋に子供の頃に親しんだタツノコプロのキャラクターや作品たちが好きだったタツノコプロのいちファンとしての思いでもあり、吉田竜夫の「世界の子供たちに夢を」という理念が実現に向かうことを期待したいところです。
〈了〉
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※「有限会社アイジータツノコ」は、石川光久が「竜の子制作分室」として集めたスタッフと、『赤い光弾ジリオン』でキャラクターデザインを担当した後藤隆幸が主宰する「鐘夢(チャイム)」(タツノコプロで仕事をしたことのある仲間を集めて結成していた制作集団)とを合併することで設立した会社で、社名は、石川の「I」と後藤の「G」から取った「IG」にタツノコプロの名をプラスしたのが由来となっています。