「萌え」から「推し」への言葉の変化を考えてみた件

エンタメ社会学者・中山淳雄氏は、2021年の著作「推しエコノミー」の中で、現在のエンタメファンの持つ意識や価値観が「萌え」から「推し」に変化していると指摘されています。

同著の中では、「萌え」は内向的な価値観で、「推し」は外交的な価値観だとし、この意識や価値観の変化は、恋愛、性愛、結婚、出産などに対する人々や社会の意識の変化を背景に起こったものだとしています。

さらに同著では、ユーザーの意識や価値観の変化に伴うエンタメのビジネス戦略の変革についても語られていますが、今回このコラムでは、言葉自体の方に注目してみたいと思います。

萌え」と同じ時期によく使われていた言葉に「」というものもありました。
お気に入りの異性キャラクター(主に男性が女性キャラクター)を「俺の嫁」などと呼ぶことが流行り、2011年には、NEC BIGLOBE Ltd.が、アニメなどに登場するキャラクターのカードをコレクションする「嫁コレ※1なるアプリをリリースしていました。
2013年頃には頻繁にテレビCMも流れていたので、記憶に残っている方もいるかもしれません。
全盛期は、すでに10年程も前のことです。

萌え」が内向的だとするのも、この「」という言葉で考えるとわかりやすいでしょう。
」というのは他人と共有するものではなく、萌えるキャラクターを個人的に独占して愛でたいとする意識の表れです。
実際には独占できるものではありませんし、他人と「」がカブることもありますが、気持ち的には自分一人の特別な愛好的存在として抱え込むような感覚なわけです。

これに対し、「推し」というのは、対象を広く認知され関心を集める存在に昇華させるために、みんなに勧める(布教する)必要性があり、共有が必須となるわけですから、当然外交的なわけです。
萌え」の場合は、自己完結でも成立してしまうものなので、同人誌を作って発表してみたり、SNSで自分の萌えキャラについて語ったりと、時に共有することはあっても、それは必須なものではないのです。

また、「萌え」というものが性愛的な要素が過分にあることもあり、どこか他人に表明するのが恥ずかしく、出来得る限りは個人的な趣味として秘匿しておきたいものでした。
これに対し、「推し」というものは、「推し活」という派生語もありますが、自己のアクティビティ(活動状況・行動履歴)をアピールするものとして使われるという違いがあります。

推し」と共に現在使われることが多くなった言葉に「」というものもあります。
底なし沼のイメージから、主に特定のコンテンツにのめり込んでしまうことを指す言葉として「沼にハマる」「沼る」などのように使われます※2

推し」が元々「推しメン(メンバー)」のように、アイドルグループの中の一押しのメンバーに対しての用語として生まれたことからも、実在の人物や架空の人物。キャラクターに対して使われるのに対し、「」の場合は、その対象が人物やキャラクターに限定されず、モノやコトをも対象とします。

みなさんこうした言葉を明確な定義づけのもとに使用しているわけではないので、誤用ということもありませんが、通常、「善逸推し」とは言いますが「鬼滅の刃推し」とは言いません。
」の場合は、人物やキャラクターに限らず広く使えるので、「我妻善逸に沼った」でも良いし、「鬼滅の刃の沼にハマっている」でも良く、さらには「鬼滅の刃の聖地巡礼に沼る」といった体験や行動に対して使ってもいいわけです。

ただし、「」という言葉には、「萌え」と同様に、必ずしも共有を必須とせず、個人的に楽しむだけでも成立する自己完結型の性格があります。
また、底なし沼のイメージから、抜け出せないというネガティブな要素も少なからず加味されており、「推し」に比べてやや自虐的な表現となっています。
しかしそれは、沼にハマっている状態を自虐しながら、同時に肯定しているのであって、そんな自分を気に入っているというニュアンスが含まれてもいるのです。
そのため、全ての人がそうだとは限りませんが、自分の好きなものを喧伝して共有し、共に沼にハマる同士を集めることに積極的な人もいます。
個人的性愛が源流なためになかなか共有し難い「萌え」は異なり、必須ではないものの、「」は他者と共有することができるという特性も持っているわけです。

萌え」「」が内向的であると同時に感情に直結する本能的な性格であるのに対し、これに取って替わる形で使われるようになった「推し」「」というのは、他者と楽しみを共有できる社会的要素を持つという対比ができるわけです。
「推しエコノミー」でも指摘されていましたが、エンタメコンテンツで成功を収めるには、このようなユーザーの意識や価値観の変化を正しく認識し、旧来のやり方ではない、新たな時代に対応した展開をとっていくことが必須となっているのです。


神籬では、アニメやサブカル系の文化振興やアニメ業界の問題解決、アニメを活用した地域振興・企業サービスなど、様々な案件に協力しております。
ご興味のある方は、問い合わせフォームより是非ご連絡下さい。
アニメ業界・歴史・作品・声優等の情報提供、およびアニメに関するコラムも 様々な切り口、テーマにて執筆が可能です。こちらもお気軽にお問合せ下さい。


※1 「嫁コレ」は、スマートフォン向けのカードコレクションゲームアプリで、ガチャによって獲得できる主にアニメの萌えキャラクターのカード(録り下ろし音声付き画像コンテンツ)をコレクションし、「なでる」、「キスをする」、「プレゼント」、「ボイスを聴く」などを行うことで愛情度を高め、レベルを上げるというもので、女性向けの男性キャラクターのカードや、非人間キャラのカードもありました。
2011年にNEC BIGLOBE Ltd.からリリースされ、2014年からはHEROZに運営が移行。2015年には累計150万ダウンロードを突破したことが発表されるも、2016年8月31日にサービス終了。

※2 「沼」にはもう一つ、ネットスラング「池沼」の略という使われ方もあります。
「池沼」とは、知的障碍者を略した「知障」から生まれたもので、元々は侮蔑的な文脈で使われる言葉でしたが、「知障」→「池沼」→「沼」と変化するにつれて差別的なニュアンスはやや薄まっていき、突飛な言動や、それを行う人を指す言葉として使われるケースが増えています(ネガティブな表現であることには変わりありませんが)。