牧野富太郎から見るオタクがものを楽しむメカニズムの件 後編

前回は、知識によって見えるものが劇的に変わって楽しさが倍増すること、オタクはその方法を使ってものごとを楽しむスペシャリストであることを解説しました。

知識を得る喜びを知り、際限なく知識を貪り尽くしたい欲望に駆られた人が、本に書かれた既存の知識では満足できず、未知のものを発見し、あるいは謎を解明しようとする、それが研究者です。
一つ知識を得るとそこに疑問が生じ、それを解消するためにさらに知識を得ての繰り返しで、知識が蓄積すると、類似するものとそうでないもの、それぞれの分類やら関連性やら系譜なども知りたくなり、時には自分しか知らない発見をして優越感に浸ったり、独自の仮説を立て、それを証明するために証拠となる知識を探したりといった具合で、どんどんのめり込んでいくのです。

練馬区の牧野記念庭園にある牧野富太郎の再現書斎

教師や親に強要されてイヤイヤやる勉強は辛いものかもしれませんが、知識欲を満足させるために進んでやった努力は、大変ではあっても辛くはありませんし、むしろ苦労して得た知識は、さらに大きな喜びをもたらします。
牧野富太郎も、植物のことをもっと詳しく知りたいというところから、日本中の全ての植物を集めてその存在を把握したいという知識への渇望に抗えず、生涯研究に身を捧げたわけです。

学者の写真などというものは、大抵は真面目な顔をして映っているものですが、牧野富太郎の写真には満面の笑顔のものが多く見られ、実に楽しそうで幸せいっぱいとの印象を受けます。
家計の苦しさとか多額の借金とかには無頓着で、家族や支援者たちに支えられながら、生涯好きな研究に打ち込めた牧野富太郎の人生は、家族や生活、世間体などいろんなものにとらわれている研究者やオタクたちにとっては羨望の的です。

牧野富太郎の有名な言葉に「雑草という名の植物はない」というものがあります。
これは、世間では雑草と一括りで片付けられてしまう植物の一つ一つにもちゃんと名前があるんだという富太郎の思いが込められた言葉です。
富太郎は研究だけではなく、図鑑の出版=データベースの一般公開による社会知の構築から、各地で植物採集会の指導や講演会を行ない、植物同好会を立ち上げて、多くの人に植物の魅力を伝える活動もしていました。
自己の知識欲を満たすだけではなく、上述の言葉に込められた思いや、その楽しさや魅力を、他者や世間にも広めていく伝道者としての役割もちゃんと担っていたのです。
知識と共に魅力を広める伝道者たることは、オタクの正しい姿と言えるでしょう。

牧野富太郎が研究した植物学の他、歴史、文学、工学など学術分野を対象としている人たちは「学者」や「研究者」と呼ばれますが、アニメやマンガ、ゲーム、SF、鉄道などを対象とする人たちは「オタク」と呼ばれます。
学術・研究機関に属しているかとか、それを生業にしているかなどの違いこそあれ、この両者の根本的な知識欲や対象に打ち込む情熱はほとんど変わらないものでしょう。
当人たちは認めずとも、学者や研究者はみんなオタクであると言い換えても差支えがないものと思われます。

アニメ業界にも、市井のオタクたちの中から、植物学における牧野富太郎のような研究者・伝道者的存在が現れ、一般のアニメファン向けに、データベースや評価基準などの設備から、評論やアニメの考察によってアニメの見方を教え、その魅力を伝える活動が普及してくれることを願います。

神籬でもアニメ作品や声優などの全網羅的なデータベースを作成しておりますので、今後のアニメ研究の発展に協力できたらと考えております。
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