9月10日は悟空とクリリンが亀仙人に弟子入りした日

『ドラゴンボール』の作中では、エイジ749年9月10日は、孫悟空とクリリンが亀仙人に弟子入りを許された日となっています。
7つのドラゴンボールを集めて神龍を呼び出して願いを叶えてもらうという冒険物語が一端落着し、仲間と別れた悟空が、修行をしてもっと強くなりたいと、かつて弟子に誘われた孤島に住む亀仙人を訪ねます。
亀仙人からは、ぴちぴちギャルを連れてくるという弟子入り条件を出されますが、同じく弟子入り志願で島にやって来たクリリンと協力して、ランチを連れてくることでクリアして、見事弟子入りを果たすわけです。

鳥山明が『週刊少年ジャンプ』にて『ドラゴンボール』の連載を始めたのは1984年なので、来年40周年を迎えます。
そんな長期にわたっても人気を保ち続け、今では世界中で大人気のコンテンツとなっており、単行本の発行部数は全世界累計で2億6000万部、2019年時点でのマンガやアニメ、ゲームなどを含む総メディア売上は230億ドル(約2兆5000億円)に達するそうです。
ところが、そんな『ドラゴンボール』は、実は連載初期はあまり人気がなかったようなのです。

初期の『ドラゴンボール』は、『西遊記』をモチーフにした冒険物語で、孫悟空は元より、三蔵法師、猪八戒、沙悟浄に当たるブルマ、ウーロン、ヤムチャというキャラクターや、火焔山=フライパン山、牛魔王などを登場させ、ドラゴンボールというお宝探しや争奪戦、格闘アクションを盛り込んだ作品でした。

鳥山明の前作である大人気マンガ『Dr.スランプ』は、基本的にペンギン村という固定した地域の中での出来事を描いた作品でしたが、『ドラゴンボール』は脱『Dr.スランプ』とでも言うべき冒険アドベンチャー活劇です。
これは、当時アイデアに困窮し、『Dr.スランプ』を辞めたかった鳥山明と初代担当編集者の鳥嶋和彦が、連載終了3か月後に新連載を始めるという条件で許可をもらって練り始めた企画でした。
ジャッキー・チェンの映画が好きだったことから描いた読切のカンフーマンガ『騎竜少年(ドラゴンボーイ)』をベースに、『西遊記』をモチーフにして、『南総里見八犬伝』の玉を集める要素を盛り込み、唐代の中国風な風景に現代的な科学文明も共存する世界観で、SF要素なども取り入れた設定でスタートし、当初は『Dr.スランプ』で良く見られたギャグ要素も多く見られました。

1984年51号に巻頭カラーで連載を開始し、1号挟んで翌1985年1・2号、3号でも巻頭カラーという華々しいスタートを切ったものの、カラーページがなくなった5週目あたりから人気が下降していったといいます。

筆者もリアルタイムで連載開始から『週刊少年ジャンプ』を毎週購読しており、個人的には大好きな作品だったので、人気がなかったというのは意外な気がしますが、人気低迷は事実で、編集部などの証言によると、読者アンケートで10位以下になることもあり(当時の連載作品は16作品程度)、打ち切り寸前だったとのことです。

これを打開すべく、鳥嶋和彦の提言で※1、ブルマや亀仙人といったキャラクターに比べ、主人公の悟空が目立っていないことが原因だとして、一度亀仙人以外のキャラクターを全部捨てて、悟空が強さを求めて修行して、強くなった結果を武道会で見せようということになり、この修行編がスタートしたわけです。

修行編開始前後が人気の最底辺であったと思われますが、ここから徐々に人気が上がり始め、物語が天下一武道会に入って数週目になると、当時大人気だった『北斗の拳』を抜いてトップに立ち、以降連載終了までの約9年間、不動の1位を維持したというのだから驚きです。
この天下一武道会が始まった1985年にフジテレビから集英社にテレビアニメ化の打診があり、1986年2月にアニメの放送がスタート。こちらも大人気作品となっていきます※2

つまり、悟空が亀仙人に弟子入りして修行編に入ったことが、『ドラゴンボール』にとっての大きなターニングポイントとなったわけですから、作中の出来事というだけに留まらず、『ドラゴンボール』という作品自体にとっても重要なものであるわけです。

ちなみに余談ですが、連載40周年を目前にして、「Vジャンプ」「最強ジャンプ」の編集長及び「ドラゴンボール室」の初代室長(2016~2022年)を務め、長年『ドラゴンボール』を手掛けてきた伊能昭夫氏が、8月末で集英社を退社し、かねて今年の5月に自身を代表取締役として設立していた新会社「カプセルコーポレーション・トーキョー」に集英社の元部下2名を引き抜く動きがあると「週刊文集」が報じています。
社名からして『ドラゴンボール』関連のビジネスを展開することが想起されますが、ゲームや映像関係の業務が同社に移るようだとも言われており、権利関係の交渉など、集英社が揺れているとのことです。
収益力では、『ONE PIECE』を超えるとも言われており、集英社にとって非常に大きな存在である『ドラゴンボール』のIP関連ビジネスの動向に関わることですから、業界内外からも注目の集まるところです。
https://bunshun.jp/articles/-/65417


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※1 実は、『Dr.スランプ』の主人公を則巻千兵衛からアラレに変えさせたのも鳥嶋和彦でした。
第1話にのみ登場した則巻千兵衛の発明品の一つに過ぎないアラレを主人公すべきだと鳥嶋和彦が主張するも、鳥山明が頑強に反対したため、『ギャル刑事トマト』という女主人公のマンガを描かせて増刊号に掲載し、読者アンケートで3位以内なら言う事を聞くようにという賭けをしたそうです。その結果、3位となって鳥嶋和彦が賭けに勝ち、アラレを主人公にすることに成功したとのことです。
また、『騎竜少年(ドラゴンボーイ)』をベースにした『ドラゴンボール』の企画で、如意棒や筋斗雲という便利な小道具設定が利用でき、且つ版権問題もない『西遊記』をモチーフにすることを提言したのも鳥嶋和彦だったそうです。

※2 テレビアニメ『ドラゴンボール』は、前番組『Dr.スランプ アラレちゃん』の東映動画のスタッフ陣が引き継ぐ形で制作していましたが、原作マンガの人気に反して視聴率が低迷していたそうです。
ここでも鳥嶋和彦が、物語がピッコロ大魔王編に突入して厳しい戦いの場面となっているのに、『Dr.スランプ アラレちゃん』の作風を引きずってバトルの描き方が優し過ぎる点を指摘して東映動画に相談を持ち掛け、『聖闘士星矢』のプロデューサーであった森下孝三や脚本の小山高生を採用した新体制のもと、『ドラゴンボールZ』とタイトルも変えて再スタートさせたとのこと。その結果、約6年10か月も放送が続いた人気作品となりました。